刻のむこう 24

   16

 有栖川の家を後にした逢坂は、程なく幸広所有のマンションへと足を向けた。この時間ならば幸広は間違いなく自宅にいるだろう。未婚の幸広は、仕事以外で他者と関わる事を避ける傾向にある男だ。
 自宅に招き入れられる相手は、彼の腹心の秘書と彼と良好な関係を作れている者だけだ。それはつまり、逢坂にとっては仕事が遣りやすいという事。
 幸広の自宅マンションに辿り着いた逢坂は、ゆっくりと一つ息を吐き有栖川より預かったスペアキーを上着のポケットから取り出した。玄関のドア越しに中の様子を探れば、今は幸広一人きりのようだ。
(少しでも苦しまぬように、か………)
 晴楼の元へ出向いた際に有栖川が零したという言葉を確かめるように胸中に繰り返す。スペアキーを使い、難なく室内に侵入した。風呂場のある方向から水音が響いてくる。気配を殺しそっと歩み寄る。
(せめて全てを………)
 胸中に言葉が零れる。
 一息にドアを開け放った。幾分いぶかしげな色を目に映した幸広がゆっくりと振り返る。
(……穏やかさの中に…)
 風呂場の柔らかな明かりの下で、逢坂が上着のポケットから取り出した懐刀が正確に幸広の首を狙い閃いた。一拍の空白が訪れる。素早く身を引いた逢坂は何事も無かったかのように風呂場のドアを閉めた。途端、その内側でシャワーが朱色に染まった。
(………返し給え)
 胸中に零すのは、願いの言葉。全ての生に等しく訪れる死という瞬間。それがせめて、最後の穏やかさを運んで欲しい。他者との争いも、あらゆる苦しみからも解き放たれて欲しい。それは他者を屠るばかりの立場にある逢坂のせめてもの願い。
 そっと胸中に言葉を落とし、逢坂はゆっくりと床に崩れ落ちる幸弘に黙礼した。踵を返し、元のように玄関を施錠する。そして、結果報告をする為、有栖川の元へと戻って行った。

   17

 逢坂が有栖川の依頼を遂行した頃。隆太郎は手配した新幹線のチケットを受け取り、駅の改札をくぐったところだった。
(やっぱなんかおかしい………)
 胸中に言葉が落ちる。逢坂を見送り、自らも手早く支度を済ませ有栖川の屋敷を後にしてからまだ三十分程しか経っていない。それにも拘らず、既に隆太郎の苛立ちは爆発せんばかりに膨れ上がっていた。しかし、相変わらず苛立ちの原因は見えないままだ。
「………くっそー」
 知らず漏れた声に、隆太郎は余計苛立ちを刺激される。暴れだしたくなる思いを何とかねじ伏せ、隆太郎は辿り着いた指定席へと身を沈めた。程無く新幹線が緩い加速をはじめる。目的地の駅までは約二時間ばかりの空白。嫌な予感は変わらず意識を刺激してやまない。
 けれど今は、少しでも体力を温存させておくべきだと自らに言い聞かせ、隆太郎は無理やりに目を閉じた。微かに体に伝わる規則的な揺れに意識を添わせる。
 眠れないまでも、これで神経を鎮めることができれば御の字だ。
 そう自らに言い聞かせ、雑念を追い払うように目を閉じたまま一つ、深く息を吐いたのだった。

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