差別を批判する人は多い。 特に最近は、やれフェミニズムだ、黒人差別だ、と色んな差別が湧いて出ている。 こんなにも差別の種類があったのかと興味深さすら感じる毎日である。 しかし差別を批判する人がたくさんいる一方で、差別とは何かについて明確な考えを持っている人は多くないように思う。 もっともらしく差別を批判する人はたくさんいるが、なぜそれが差別なのか説明できる人は果たしてどれだけいるのだろうか。 あらゆる物事には違いというものがあって、同じものは一つとしてない。 そのことは誰
僕はもともと本好きだった。 うちの親は本ならいくらでも買っていい、という方針で、その影響もあって小さい頃から本をよく読んできた。 昔は小説が好きだった。何百ページもある小説を買っても、読み始めたら止まらずに深夜まで読みふけっていた。近視が進んだ原因であることは間違いない。今からでも昔の自分に忠告してやりたい。 そんな本の虫だった僕が小説を読まなくなったのは中学生くらいだろうか。 特に理由があったわけではない。 単純に一人で過ごす時間が減ったからなのかもしれないし、周りにも
昨今、ニュースは批判する人で溢れている。 差別、不倫、政治。 世の中には批判が好きな人がたくさんいるらしい。 もちろん批判することは大事なことで、必要なこと。 しかし、問題の解決に近づく行動を伴わない、生産性のない批判はただの自己満足だ。 世の中には難しい問題があふれている。 地球温暖化、人種差別、戦争、詐欺や自殺。 解決できていない問題がたくさんあって、色んな人が解決するために努力している。 例えばある人が解決案を考えたとする。 するとそれに対してもっともらしく批判を
時間のはかりかた。 そう聞いて、みんな秒だとか、分だとかそんな単位を考えると思う。 僕も時間について昔は特に深く考えたことはなかったが、あるとき新書を読みあさっていた頃に、「時間には単位は存在しない」と書いた評論に出会った。 そのときに自分の中で視界が開けたように全てに納得がいった気がして、それ以来その考えを大事にしている。 時間と自己というものは直結していて、切っても切り離せない。 時間の流れの感じ方は人によって違うし、誰でも熱中しているときは時間が短く感じたり、逆