40代の思い出
私の40代、それはまたまた激変の時代でした。
その時はまだ神戸にいましたが、超激変の時代でした。
特に、阪神淡路大震災にもろに見舞われた事と、壱岐にUターンした事でした。
1995年1月15日午前5時46分の事でした。
その日は朝早くに目がさめました。
突然、ゴーっと言う音がし始め、家がどんどん揺れ始めました。
その時に、あ、地震だと思い、即座に布団をかぶりました。
しばらく揺れが続いた後、少しおさまった後、、もう一度、大きな揺れがきました。
もう大丈夫かな?と思い、、周りを見渡したら、棚に乗せていたもの全てが落ちていました。
電気も電話もガスも水道も全て止まっていました。
この頃から、ライフラインと言う言葉が言われるようになりました。
この事については、また後でゆっくり語りたいと思います。
そして、もう一つの出来事、それは、壱岐にUターンして来た事でした。
平成9年の10月10日に、神戸を離れ、長距離夜行バスで福岡の博多駅のバスセンターにつき、フェリーで壱岐に帰って来ました。
この事についても、、後でゆっくり語りたいと思います。
と言う事で、40代の思い出についても語って来ました。
これからもよろしくお願いします。
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