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兵法書は本物か?

皆さまこんばんは、弓削彼方です。
今回は少しだけ前回の話にも関わる、兵法書は本物か?と言うお話です。
武経七書を始め様々な兵法書を紹介し、その過程でその兵法書の作者についても触れてきました。
ただ、兵法書は何百年何千年も前に書かれた書物です。
本当にその兵法書を書いた作者が、世間一般で言われている人物なのか怪しいものです。
そこで今回は、その事について解説していきたいと思います。

少し複雑な話ですので、動画の解説を見て頂ければと思います。


今回は武経七書に限ってお話をします。
武経七書の意味が分からない方は、先に下の記事に目を通しておいてください。


孫子尉繚子に関しては、現代に伝わるものとほぼ同じ内容の竹簡が原本として発掘されており、作者と書かれた時代が明確になっています。
ただし内容に一部違いが見られるので、長い歴史の中で他者の手直しが入ったことは間違いないとされています。

呉子司馬法も、作者と書かれた時代が明確になっています。
ただし本来はもっと多くの文章があるはずなのに、現代には僅かしか残されていません。
例えば呉子は全部で四十八篇あるはずですが、現代に伝わるのは六編のみとなっています。

六韜原本と思われる竹簡が存在しますが、本当に太公望によって書かれたか不明です。
一部は本当に太公望によって残されたものかもしれませんが、ほとんどは後世の兵法家が太公望の名を借りて箔を付けるために、六韜に付け足したものではないかと言われています。

三略李衛公問対は誰かが書いたのは間違いないけれど、その作者と書かれた時代がはっきりしていないものです。
三略は太公望の名を、李衛公問対は太宗の名を借りて、別の誰かが自分の兵法に箔を付けて残したものだと考えられています。

このように現代に伝わる兵法書の半分は出所が怪しく、作者と書かれた時代が明確に分かっているものでも、後世の人物によって必ず手が加えられています
これは現代に伝わる孫子が、曹操の手によって編纂された魏武注孫子であることを考えれば、当然のことと言えるでしょう。


さて、ここで一つ考えなければならない問題が出てきます。
他者の手が入った兵法書や、実は別の誰かが書いた可能性の高い兵法書に、額面通りの兵法書としての価値があるのかどうかです。
先に答えを言えば、現代に残っていると言う事実だけで価値があります
例えその一部や、もしかしたら全部が別人の書いたものであったとしても、すでに数多の名将がそれを愛用していた事実により、それに価値があったことは証明されています。
現代まで残っている武経七書は、長い時間の中で磨かれた独自の価値があるのです。

自分の好きな兵法書が、実は偉大な人物によって書かれたものではなかったとしても、その人物の名を借りてもおかしくないほどに有意義なことが綴られているのです。
そのように考えれば、その兵法書を書いた作者が実は本人では無くても、その兵法書の価値は本物であると言えます。

いつもとは少し違う方向の話でしたが、これで兵法書とは先人達の智恵が詰まった知識の結晶であると言うことがお分かり頂けたと思います。
ぜひ皆さまにも、一冊でもよいので兵法書を学んで頂ければと思います。

今回の解説はここまでです。
それではまた、次回の講義でお会い致しましょう。

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