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一度出した命令は変更してはいけないのか?

皆さまこんばんは、軍師の弓削彼方です。
今回は先の三略講釈【上略-12】でお話しした、「一度出した命令は変更してはいけないのか?」と言う疑問に対して、少し考えてみたいと思います。

三略講釈【上略-12】


皆さまは軍事の専門家ではないので、話を単純にして考えていきましょう。
「明日はあそこに見える敵と決戦である。敵の数は我が軍の半数ほどであるから、左翼と中央は前進して正面から敵を攻撃し、右翼は敵の背後に回るように移動してから攻撃せよ」と言う命令が出されたとします。

左翼と中央の兵士は明日の決戦で敵と全力で当たるために、武器を研ぎ防具を確認して用意を終えます。
右翼は移動する必要がありますので、移動しやすいように必要最小限のもの以外は輸送隊に預け、移動時間を考慮して左翼や中央より少し早めに行動できるように用意をします。
このようにそれぞれが準備を終えて用意しているのに、翌朝になって「やはり左翼が敵の背後に移動して攻撃し、中央と右翼が正面から敵を攻撃せよ」と命令が変更されると、左翼と右翼は装備を取り出したり預けたり、行動を開始する時間も変わったりと慌ただしくなり混乱します。
先に講釈した三略の解説では、「命令を取り消したり変更したりすれば、将軍が軽く見られるのでよろしくない」と言う話をしました。
これは兵士達の間に、このような混乱を生み出した将軍の判断力に疑念が生まれるからです。
ですので、原則として一度出した命令は簡単に取り消したり変更してはいけないのです。

ここで少し視点を変えて、命令が出される過程を見てみましょう。
この命令が出される時にはすでに情報収集が終わっており、「敵は目の前に居て兵力はこちらの半数」と言う情報が揃っている状態だとします。
その上で「左翼と中央で敵を引き付けて、その隙に右翼を移動させて背後から奇襲して勝つ」と言う作戦が立てられているわけです。
つまり情報を元に勝つための作戦が立てられ、そして命令が出されているわけです。
しかしこの前提が変わってしまったらどうでしょうか?

例えば夜中の内に敵の陣立てが変更されて、さらに川や谷などの地形の事情でどう頑張っても右翼が敵の背後に移動できない場合。
この場合には、敵の背後に回る役目を右翼から左翼に変更しなければいけません。
そうなると翌朝になって急に「左翼が敵の背後に移動して攻撃し、中央と右翼が正面から敵を攻撃せよ」と命令が変更されても仕方がありません。
これは勝利を確実にするための、味方の一部を敵に背後に回らせると言う作戦の基本を変えないためにです。

もっと大きく事情が変わり、捕捉していなかった敵の別動隊が合流して敵と味方の兵力差が無くなったり、敵と味方の兵力差が逆転した場合には、攻めから守りへと方針の変更や、場合によっては後退や撤退も考えなければなりません。
逆に敵が不利を悟って撤退した場合には、戦う必要はなくなり敵の背後に移動する必要もありません。
このように戦いの前提が大きく変わった場合には、作戦を変更する必要があります。
それに伴い最初に出した命令を撤回し、新しい命令を出すことが必要です。
情況が変化したのにそれを考慮せず、新しくもたらされた情報を加味した適切な判断が出来なければ将軍とは言えません。

さて、命令を変更してはいけないと言う話をしていたはずなのに、命令の変更があるのは当然だと言う話になってしまいましたね。
これでは矛盾してしまうので、少し整理していきましょう。

敵が増強されたり撤退して居なくなった場合など、戦いの前提が大きく変わったことで、戦場での方針を変更する場合には命令の変更がされなければなりません
また陣立てが変更されて敵の配置が変わったなど、明らかに最初の作戦のままでは実行するのが難しくなった場合も、命令を変更する必要があります。
このような場合には敢えて情報を伝えなくても、兵士達も見て状況が変化したことを理解できるので、命令が変更されても将軍を非難することはなく、むしろ必要な処置を取ったと認めることでしょう。

問題は戦いの前提を覆すほどの大きな変化ではない、小さな変化があった時です。
例えば、偵察を出して確認したら遅れていた少人数の部隊が敵の隊列に加わったとか、敵の背後に移動する右翼のルートを確認したら湿地があって想定より移動に手間取りそうだと言う場合です。
このような場合には、「敵が増えた方にもう少し兵力を振り分けた方がいいのではないか?」とか、「湿地を通らなくていいように敵の背後に移動するのは右翼から左翼に変更した方がいいのではないか?」などと迷うことでしょう。
また作戦を立てるために必要な情報を集めた中で、時にはその膨大な量に埋もれて情報の見落としがあったり、作戦を立てる上で考慮すべき伏兵の存在などを考慮せずに命令を出してしまうと言うミスが起きる場合があります。
情報を見落とし、考慮すべき点を考慮せずに作戦を立て、それに基づいて命令を出してしまうのは将軍の過失です。
ではこれらの小さな迷いや過失に気付いたら随時修正し、一片も間違いのない命令を出すために、命令を度々変更することが正しいことでしょうか?
上で述べた通り命令の変更は混乱の元になり、将軍の判断力不足を疑わせる要因になるので正しい選択とは言えません。

その答えのヒントが、三略と同じ武経七書の一冊である尉繚子に書かれています。
尉繚子の一節には、「小過を更むることなく、小疑を伸べることなかれ」とあります。
前後も合わせて訳しますと、「命令が何度も変更されたら、兵士は命令を信じられなくなる。そこで一度命令を出したら、命令に小さな過失やその前提に多少の疑念があっても、大筋で間違いが無ければそのまま実行させる。そうすることで兵士は迷うことなく戦うことができる」となります。
大きな変化であれば兵士達も見て状況の変化を理解できるので命令の変更も素直に受け取れますが、小さな変化や将軍の頭の中の考えを兵士達は知ることができないので、命令が変更されると混乱の元になり将軍の判断力に疑念を持たつことになります。
ですので、作戦の大筋に支障がない範囲であれば、命令の変更はしない方が良いのです。

さて、まとめに入りましょう。
戦いの前提が変わるほどの大きな変化があれば作戦を変更し、同時に新しい作戦に沿った命令を出し直さなければなりません。
戦いの前提が変わらない程度の小さな変化や疑いは無視して、最初に出した命令のまま実行させます。
そもそも戦場では全てが不確定であり、どれほど完璧にしようと思ってもその不確定要素のせいで当初の想定通りに事は進まず、常に臨機応変な対応が必要になります。
よって命令の大筋に間違いがなく、「何を目指して何をするべきか」と言う部分さえ保たれているのであれば、残りの臨機応変な対応については現場指揮官の判断を委ねれば良いのです。
そうすることで、「命令を変更しない」と言う原則が守られます。

先の三略講釈で出て来た「命令を取り消さない」と言うのはこう言う趣旨のことを言っているわけで、何が何でも一度出した命令は変更すべきではないと言う話ではありません
兵法書に書かれている戦場は様々な部分で現代との違いが多く、また兵法書の内容は現代人にとっては説明が足りない部分が多く勘違いしやすいので、じっくりと読んで、しっかりと理解を深めていくことが大事です。

今回の話で少しは理解が進んだでしょうか?
長々とした説明で分かりにくい部分もあったかと思いますが、これで一通りの説明は終えられましたので、今回はここまでにしたいと思います。
もし理解出来なかった場合は、軍学を学び進めた後にもう一度この記事を読んでみて下さい。

それではまた、次回お会い致しましょう。



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