死に場所を選べるか

もし何もなくても
後一年もないだろうという父(88)の健康状態だった。
母が亡くなってから鬱状態になり生きる気力を失っていた。

それが
再び誤嚥で窒息し救急搬送され入院2週間目程。
父もいつお迎えが来てもおかしくないのだが
今は急性期病院から一般病院へ転院手続きなどでバタバタ。
近くの病院に転院できるといいのだが。
この糞コロナでどこに入院しても面会ができない。
この一点をとっても、政府、厚労省は許し難い。
退院できるかどうかはかなり難しい病体だ。
できれば在宅で介護して家で最後をと思っていたが。
つまり、このままだと
死ぬ直前まで父には会えない。
しかし余程遠ければ別だけど面会できないのなら
入院先が近くても遠くてもほとんど同じだな。

人生の最後はあっけない。
生きて動ける間に自分の希望を少しでも
叶えることだ。
ある意味
人間は長生きし過ぎなのかもな!
長寿ばかりが尊ばれるけれど
長さだけじゃない。
今の医療の方向性を改めないと
無為に生きる人が増えるだけになる。
残念だ。
現場に文句を言ったところで
彼らは社会のルールに従っているだけで
悪意はない。
愚かではあるけど悪意がないのだ。

詰まるところ、企業も医療も政治の下にある。
社会活動は政治によってコントロールされている。
それを変えるには
面倒でもこの社会の不条理を変えるために
エネルギーを政治改革に向けるしかない。

しかし、
今や大衆は戦後レジームのせいで
すっかり骨抜きに教育され教育者も愚かになっている。
ある意味0から作り出す必要がある。
それはもう一つのリセット。

私ももう若くないけど残りの人生は
少しくらい良い事をしていきたいと思う。

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