安倍総理の死を追悼いたします

早速、陰謀説が流れ出した。

偽装死ではないか?と言う説だ。
当たり前だが安倍さんのケースも政治的に利用される可能性もある。
これまで色んなメディアの嘘、謀略、洗脳、捏造があった。
世界的なプランデミックだから当然その可能性はある。
そんなことはもう分かってるではないか。

しかしその一方でそうした世論さえ利用して本当に暗殺すると言う筋もなくはない。
言いたいのはそんなことではなく。
私が安倍さんの死をまず、嘘であろうと事実であるろうと
まだ真実がわからないのならせめてその日くらいはまず受け止めようと言う
ただそれだけなのだ。
そしてこの論争そのものが数日後に控えた参院選の妨げになっている。

疑うってのは 肯定と否定があって
なぜかデフォルトが
否定である事が主流になっている。
何でも疑うと言う概念の取り扱い方
自体が間違ってるんだろう

正しく言えばより公平に見ると言う事だ。
だからあまり断定的には言えない事が多い。
猜疑的と言うのとは少し異なる。

人が死んだ時は普段よりも慎重に考察しないとね。

全ての可能性を踏まえて(暗殺説、偽装説)
今の日本の政治、メディア、利権、全ての闇を暴く必要がある。
当然、殺害計画が政略的なものであることは予測できているわけで
様々な陰謀が考えられる。
けれど、それもこれも安倍さんの死については
選挙が終わった後にゆっくり考えて書いてみたい。
偽装かどうかは別として
一人の人間の死としてもそうだが
元首相の暗殺はただ人が一人死んだと言うことよりも大きな問題だからだ。

例え政治信条が違っても
政治によって社会に問題を起こしたとしても
私は人をゴミのように扱うことはしない。
彼が何を行い何が良く、悪かったか。
一つ一つ理解して発言したい。

皆、予想屋か評論家にでもなろうとしているのか?
それとも人間らしい人間になろうとしているのか?
そう言う意味で慎重にありたいし
人の死はそんなに軽く扱わないが
それで同情して考えが変わるなんて事はない!

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