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ウィル・オ・ウィスプの襲撃についての簡潔な報告

犬のように死ぬ日、佐藤はようやく仮設された波止場で我々の船を待つため早朝5時に目を覚ました。二日酔いか、悩み事のせいか酷い頭痛がした。

悩みの種は波打ち際に住み着いた青年の集団だった。上からの立ち退き要求とそれへの青年らの抗議に佐藤は板挟みになっていた。

7時前に佐藤の自宅の周辺地域を警戒していた男性は彼の姿を認め挨拶を交わした。「海上の国から来る使者団のせいでとんだ寝不足よ」というのが返事だった。波止場までの間にも佐藤は例の波打ち際を通ったに違いない。

佐藤の命日の朝9時に我々は到着し、彼を含めた市の職員らに出迎えられた後、沈没した旧世界の資源調査について打ち合わせをした。我々は使者でも頭痛薬でもないが、彼は我々が頭痛の原因を取り払うと信じていた。

海に沈んだ地域から逃げてきた住民。旧都市圏と同じく彼らはこの小さな港町でも課題になっていたが、旧都市圏以上にどうしようもなかった。彼らは育った町にも戻れず、それぞれの理由で都市国家へ出ていけなかった。しかし海の上になら?

気候変動から数十年。度重なる災害に沿岸が沈み道が崩れ、彼らのような地方の行政は立ち行かなくなった。佐藤らは市の職員を名乗るが、実態は以前の自治体がやせ衰えた末の寄り合いに過ぎない。我々の海上国家も一皮剥けば海賊のようなもので、武装した我々の船は丁度私掠船のようなものだ。

職員が我々を待つ間、前夜の酒の席での話題が持ち出された。その晩、佐藤は亡霊を見たという。

なだらかな長い砂浜が観光客を集めていた令和の頃、沖には小島が浮かんでいた。平安時代に討伐された海賊が根城にした逸話付きのものだ。小島のあった辺りに鬼火が浮かんでいたと佐藤は話した。海賊を待つ間に海賊の話とは笑えない冗談だ。

佐藤が死んだ今、その証言を確認する術はない。必要もなかった。到着したその日の晩、佐藤のいう"鬼火"が海一面に広がった。亡霊ではなかった。【続く】

Photo by Emile Guillemot on Unsplash

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