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生き方の正解 : 「#走らない」



走らない。
…よね〜。

「急いで。」
と、私が言うと余計にゆったりと景色を眺めだした。

「日光は何回も来たことある。」
と言って、連れてこられた感が強くて興味なさそうだから、山葡萄の蔓籠バックを作っている人がいるから、そちらに行こうと言うと、興味を示したものの、だからと言って、動きは緩慢だ。

時間が遅くなると、見学出来なくなると言っても、のんびりと参道を歩く。
そんな母を、母の友達の知子さんも合わせきれずにいるけれど、母のペースに合わせて歩いている。

その動きが、私への拒否なのかさっぱり読めない。
蔓籠バックを見に行けなくても、
「あなたがちゃんとしないから。」
と、文句を言うのも、
見に行けたとしても、
「別に蔓籠なんか興味なかった。」
と言うのも、想像がつく。

知子さんは、
「やっぱり日光の紅葉は綺麗ねぇ。」
と、赤や黄色の紅葉に顔を綻ばせる。
急ぐ風のない母を見て、景色をようやく楽しみだした。
私も、日光の豪華絢爛な建物と紅葉の鮮やかさを楽しむことにした。

「依子さん、施設に入るそうよ。」
と、知子さんが母に言う。

「そうみたいねぇ。あんなによく動く人だったのに。」
と、母が返事した。

「え? 依子さんて、あんなに元気で畑作ったり、漬物つけたりしてたのに?」
と、私は驚いてしまう。
母などより凄く元気で、よく働く人だったから。

「そうなの。話しも上手く出来なくなって、歩くのもやっとで、この前も入院してたんだけど、施設に行く事になったのよ。」
と、母は説明する。

「私も、80になるけど、80は全然違うのよ。力が出ないって言うか、ビックリする。」
と、知子さんは言うが、母などよりかなりしっかりしているように見える。

母は、ずっと専業主婦で、働いたことがない。
それなのに、家事は出来ないと言って、家事も殆どした事がない。
子供…つまり、私たち兄妹の世話も、した事がない。

この世にそんな人がいるなんて、誰も信じられないだろうけど、本当だ。
昔はそんな母を受け入れられなかったけど、だんだん歳を取ると、そんな人がこの世にはいるのだと、受け入れるようになっていた。
母がどんな非常識な事をしようと、「こんな人間もいるのだ」と、腹も立たなくなってしまった。

母は何ををしているかと言うと、本当に好きな事だけする人生だ。
小さな畑があるのだが、種を蒔いたり、何かを植えたりは好きなのだけれど、その後の手入れは私任せで、収穫はする。
洋服を作ったり、ニットを編んだりして、友達のカフェで年2回売ったりはしているが、それだけだ。
それをしているから、
「私は忙しいから、食事なんか作れない。」
と、堂々と言う。

そんな母が
「依子さんは働きすぎたのよ。」
と言ったので、「はぁ?」と、思ったのだけれど、持病が何もない母を思うと、もしかしたらそうなのかも知れないと、思えてしまう。

人は本当はどんな風に生きるのが正解なのだろうか…。

知子さんが、
「そうよね。依子さんは働きすぎたのよね。」
と、返事した。
恐らくそれは、依子さんを慰めたいと思う、知子さんの優しさで、母のそれとは違う気がした。
いや、全く違ったものだろう。

「もう、歩き疲れたぁ。」
と、母は言い出した。
社殿を見ることもなく、参道をちょっと歩いただけなのに。
そう言い出したら母は動かなくなる。

「じゃあ、お抹茶の美味しいお店があるからそこに行く?」

「歩くの?」

「車で行けるから、駐車場までは戻れるでしょ?」

「それなら大丈夫。知子さん、いい?」

「私はいいわよ。」

どこまでも、東照宮を見終わった訳でもないのに自分本位な母の意見だけれど、知子さんも東照宮を何度も来ているようだから、日本庭園の綺麗なカフェに行く事にした。

車に乗ると、道沿いは、外国人の観光客で溢れていた。
外国人でなくとも、杉林の街道や、紅葉の山並み、朱染の太鼓橋、異世界に紛れ込んだ気分になる。
近代化された日本しか知らないのに、懐かしく、戻って来た感じがするのは、日本人の血なのだろうか。

「外人さんばっかりねぇ。」

「日本人の方が少ない。」

と、母と知子さんは外国人を眺めた。
日本庭園の古民家カフェに着くと、

「疲れたぁ。」
と、母は大きなため息をついた。
知子さんは疲れた風もないけれど、
「坂道だから、疲れるわね。」
と、合わせてくれる。
母は常に運動不足なのだ。

抹茶とシフォンケーキのセットを頼んで、庭園を眺めた。

緑の苔に紅葉が綺麗だ。

「今年は白菜がみんな溶けちゃって、作ったけど、全滅だった。外側の葉が茶色くなったとかならいいけど、中から溶けちゃって、何にもなくなっちゃったの。」
と、知子さんが言う。

「今年は暑かったから…。」

「そうよね。私たちは暑かったら、涼しい所に入れるけど、野菜たちは熱い所にずっといたんだもの。
だからね、暑かったからかわいそうにねって、白菜に言ったのよ。」

本当だ。人は涼しい所に行けるけれど、野菜たちは熱い畑から動けない。

そして、猛暑日から一気に11月の気温になり、急激に紅葉が始まった。

「知子さんは優しいわねぇ。」
と、母が言う。
何が優しい事なのか、知らない訳ではないのだと驚いてしまう。
知子さんは優しい。
母にこんな優しい友達がいる事にも驚いてしまう。

抹茶とシフォンケーキを頂きながら、
「美味しいわね。」
と、知子さんが言い、
「美味しいですよね。ここの抹茶とシフォンケーキ、大好きなんです。」
と、二人でにっこり顔を見合わせる。
美味しい物は幸せにしてくれる。
こんな時、母は美味しいと言った事がない。美味しいと思わないだけなのか、私には分からない。
でも、知子さんのように「美味しいわね。」と言ってもらえると、とても安心する。
美味しいと言わない母は、少しだけ幸せが減ってしまう気がするのだが、そんな事はないのだろうか。

東照宮を歩かなくても、このカフェで世間話をしているだけで良かったのかも知れない。
ただゆったりと森の中の日本庭園で、この時間を過ごす方が、自然の一部になれる。

「あなた、払ってね。」
席を立つと母が言った。

「はい。はい。」

「え? 私が払うからいいわよ。」

「いいのよ。この子に払わせれば。」

どこかに出掛けても母がお会計をする事はない。いつものことだから、あえて言わなくてもいいのに。
かえって知子さんに気を使わせてしまう。
「この子に払わせれば」
お金を払う事より、その言い方に傷付く事にいまだに気付いていない。それとも、そこもわざとなのか…。
どちらにしろ、そう言う人なのだ。

「いいですよ。お気遣いなく。」
と、伝票を手に持つ。

人とは、どのように生きるのが正解なのか。
母を見ていると、正解なんてないんだと思う。
どんなに理不尽な生き方をしようと、問題はないのだと思えてくる。
ただ一つ言えることは、他人に走ることを強要されても、一切無視して生きても、幸せに生きられるってこと。






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