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コミュニケーションツール。

幼稚園から高校まで、
ずーーーっと、
「自分の感情表現ができない」と、通知表に書かれていた。

え?
誰の話?
…私のことですか?

私に私は、普通だった。

確かに、表情は乏しかったのかも?
でも、自分では普通に笑ったり、詰まらなそうにしていた気がする。
もしかしたら、
概ね、空を見てたかも?

…そしたら、ずっとアホずらで過ごしていたってこと?
それは、悲しすぎる!

そんな事書かれてたけど、
特に、学校生活に支障はなかった…気がする。
それとも、
恐ろしく、何か支障をきたしていたのかしら〜?


子供の頃は、
…ん、学生の頃は、と言った方がいいかな。
絵や、工作や、作文や、習字が得意だった。
創作ダンスも、学校初の試みだったけど、
褒められた記憶がある。

もしかしたら、
私のコミュニケーションツールは、
話し言葉じゃなかったのかも知れない。
絵や、作文、ダンスが得意だったわけじゃなくて、
それが私の表現手段だったのかも。

今は、話し言葉でコミュニケーション出来る様になって、
新しいコミュニケーションツールを手に入れると、
文章も、絵も、ダンスも退化してしまった。

活用しないものは退化する。

口で感情を表現してしまうと、
なんだかもうどうでもよくなってしまう。

無口な人ほど、心の中はおしゃべりだと言うが、
無口でない私は、心の中は無口になって、
絵も文章も、中々浮かんでこない。

また、
感情表現出来ない私に、戻ったら、
面白い絵や、文章がかけるだろうか?



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