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夏 セミに出会う−1−

何十年かぶりにキャンプに行った。

今、キャンプはブームになっているらしく、家族連れからソロキャンプ、カップル…でも、夏休みで家族連れが多かった。

湖を囲む形でテントをはるのだけれど、ぐるっと他のテントが見渡せる。
朝から晩まで、子供達は湖で遊び、夜は花火。
改めて、子供って元気だと思った。
大人になると、設置場所までの荷物運び、テント設置、食事の準備に片付け、暑さの中だと結構ぐったりしたけど、子供には、それら全てが遊びだ。

変な責任感や、義務なんかない。

はしゃぐ子供達を見ながら、自分の疲労感てなんだろう?と、考えてしまった。
私は、役割を果たす事が精一杯で、日常の繰り返しに疲れ果てて、自分が鉛を付けたようにグッタリした、なりたくない大人になっていた。

子供の声は屈託なくて、ストレスフリーだ。

こんな感覚、今まで感じなかった。年を取ってみないと分からい事もあるものだ。
澱をべったりつけた自分。
そんな自分と出会うとは…。
最も嫌いな大人の姿に自分がなっていた。

これを読んで、
「分かる〜。」
と、思うには、歳をとってみないと分からない。
若い時には感じる事のない感覚だ。
歳を取ったからこそのの自分の澱。
それをじっくり、眺めてみるのも良いものだ。
だって、若かったら、見えない感覚だもの。

そこに気づけただけでも、キャンプに来て良かったと思う。
澱って、毎日、同じ所の思考回路しか使っていなくて、脳ミソはもう飽き飽きしてるってことだと思う。
家と会社の往復する日々は、とても世界を狭くして、沢山の人虫や鳥や植物がいる事を感じられない。人間だけの世界の様に勘違いさせる。
人工の世界なんて嫌いと思っていたけれど、今は、自然を感じる事ない人間だけの世界で生きていた。
は〜、息苦しいはずだ。きっと、息するのも忘れてた気がする。

果てしなく世界は広がっている。

足元の草の中には、アリ以外、名前も知らない沢山の虫たちが、
忙しなく動き回っていた。
それはきっと、冬が来る前に…とかは、思っていない。
動くべきと言う、本能。
何を目的になんて考えてない。

テントの設置を終わらせたら、しばらく、湖に飛び込む子供達を眺めた。

子供のように湖にジャンプ出来ないかもしれない。
でも人間にはミラーニューロンが備わっている。
自分の気に入った子供に憑依して、一緒に湖に飛び込めばいいんだ。
飛び込む感覚
水に沈む感覚
浮遊感
人は自分でそれが出来なくても、誰かが体験するそれをみる事で
同じ感覚になれる。

蝉の声と、子供達の声と、風の音。
他に音などいらない。

「来年は水着を買って、クロールで泳いでやっかんね!」
…ほんとかな?
…背泳ぎかもしれない。


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