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「昔さ〜。…。」

誰かと話してると、
「昔さ〜。」
と言う話がよく出てくる。

「昔さ〜」と、言われる度、
人ってそんなに過去を思い出しながら生きてるものなのか
不思議になる。

まして、「昔は良かったよね。」みたいな話をされると、
え? それで?…と、思ってしまう。
だから私は、昔話で盛り上がる…って事がない。
ついでに、昔の方が良かった事なんかあったっけ?
くらいのテンションだ。

しかも、過去に良かったなら、今もやればいいじゃんねぇ…
と、思ってしまう。

昔、土鍋ご飯が美味しかったから、土鍋でご飯炊いてるし、
昔、カヤックが楽しかったから、夏はカヤックをする予定を立てるし、
昔、絵を描くのが好きだったから、今も描いてるし、
昔、トンボが好きだったから、無駄に水を汚さないようにしているし、
思い出ではなくて、今もだ。

さらに、昔の話をするなら、未来の話をしようよ…と、
思ってしまう。

昔はこうで、今はこうだ…と言う対比はする。
対比することで何か見つけることもあるから。

ただ思い出に浸る…と言うのはない。

と言うより、思い出に浸ってる余裕がない。
日々を生きるのに精一杯だ。
それは最近ではなくて、ずっとそうだった気がする。
好奇心の強い私はずっと何かを追いかけているか、
電池が切れて寝落ちしてるかだ。

昔話をする人って、リタイアした人か、何かを降りた人か、
余裕がある人か…な、気がする。

ある意味、羨ましい気もする…。

それこそ昔だけど、
50を過ぎたら余生へのカウントダウンのように思っていた。
でも100年人生になって、50でもまだ半分。
しかも、「若い」とか言われる。

えーーー!
50って、おばあちゃんじゃないの?


今や、おばあちゃんでいる事は許されない。
しかも、自分もフツーに動けている。
ヨガやってるから、お腹も出てない。
今の職場は70歳まで働ける…働かされる?

あと、20年。


てことは、私が思い出に浸れるのは、20年後か?
凄く予定外だ。
そう言いながら、違う人生にシフトしたいと、
ずっと楽しんで企んでいるんだけど。
自分自身も、周りの言葉に乗せられて、
おばあちゃんにはなり切れていない。

でも、若くはないからね。

まぁ、おばあちゃんになったって、
色んなこと企みながら生きたっていいよね。

好奇心の強い私は、ずっと何かを追いかけて、
骨身を惜しまず楽しみ尽くしていそうだ。
もしかしたら、それはそれで幸せなのかもしれない。
全ての人が100年時代で生きられる訳でもないと思うし、
ある意味チャンスを与えられた世代とも言える気がする。

やっぱり思い出話をしている場合ではないのだ。

これから世界はもっと変わっていく。
気候変動、AI、少子化、資本主義の変化、ウィルス…。
どんなふうに変わって、どんな風に生きるのかも見てみたい。
出来れば、知性が良い方向に進めばいいと思う。
知性より魂かな?
想像は膨らみ続ける。

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