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ウチのじいちゃんの話し


ウチのじいちゃんの家は、小さな城下町にあった。

先祖が、その城の首切り役人で、男子は早死にする…と言う、言い伝えがあり、男子なのにみんな女性を示す名前が付けられている。

…でも、じいちゃんは普通に男子の名前で80歳まで生きた。
どう言う事?

父親の従兄弟なんか、『幸恵』と言う、まさに、女らしい名前が付けられていたんだけど。

まぁ、それはさて置き…。

第二次世界大戦が始まる前、
「これから戦争になる。ここでは暮らして行けなくなる。」
と言って、山奥に土地を買って移り住んだ。

移り先の集落に、人は住んでいたんだけど、電気も水道も通っていなかった。

ばぁちゃんは、「そんな所じゃ暮らせない」と、怒りまくったんだけど、じいちゃんはそんな事を聞く人じゃない。

しかも、
「ないなら引けばいいじゃないか‼︎」
と、電気と水道を引いてしまった。

…ちょっとヤバイ。

ばぁちゃんは、それからずっと、私が大人になっても、
「こんな山奥で…。」
と、不満を漏らし続けた。
確かに、逗子や横浜で兄妹は暮らしてるからね。
逗子も昔は、田舎だったと私の目には映ったんだけど。なんなら、サワガニや蝶々なんか、実家より沢山いたし。
…そう言う問題じゃないみたいだ。

じいちゃんは、戦争になる前に山奥に移り住んで、電気や水道を通し、自給自足出来るように整えて行った。

じいちゃんはその事を、
「この家なら、世界がどんな事になっても生きていける。ここにいたら安心なんだ。」
と、私に言った。

確かに。

もし、電気やガスが止まったとしても、伐採した木で、煮炊きすればいいし、水は無くならない。畑があれば食料も確保出来る。米は作れないけど、沢山芋や麦を作ればいいし…。
更に、穴を掘って行けば、鍾乳洞で暮らすことも出来る。土地の権利は、地上だけではなく、地下もだから。

世界がどんなに変わろうと、生き残れる家。


でも、
原発事故が起こった。

じいちゃんの読みも、原発までは入ってなかったよねぇ〜…と、思ったのだが。

実家の場所は、原発事故以前となんら変わりなかった。
被害ゼロ。
実家の地区は、放射線量が上がる事なく、除染対象にもならなかった。

マジで、ヤバイ。

奇跡に近い出来事だ。
まぁ、偶然?
それでも、宝くじに当たるくらい凄い確率だと思う。


思うんだけど、
生き残るための家を想定する人って、
いるんだろうか?
じいちゃん以外に見た事がない。

実家の家は、戦争時、沢山の疎開者を受け入れていた。
その為の家のようでもあった。
それは、いち早く、じいちゃんが、準備したからに他ならない。


今朝、
ミサイルの夢を見て、
ふと、じいちゃんの言葉を思い出した。

今年は何もないだろう。
嵐の前の静けさ…。

何となく、準備するなら、今年からと思ってしまった。
27年まで、持ち堪える為の準備。

いったい、何を準備したらいいのやら…。
3年分の米でも蓄えるかな?米なら腐らないし…。


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