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働くって 仕事って 誰の発想?

スッゴク、疑問がある。
働くって、仕事って、誰の発想?

は?
なんですか?

…って、感じだろうか?

なんか、働くや仕事って言うと、自分の時間や労力を売ること…みたいに思えるし、お金を得る手段にしか思えないところがあるのだが、どうだろう?

スッゴク極端に言えば、お金のために生きてる気がしてしまう。
だからそこから抜け出すには、不労所得を得るとか、宝くじを当てるとか、FIREとか、あるいは世捨て人とか、そんな発想になってしまう気がする。

そうじゃないよ…ッテイウナラ、働く、仕事ってなんでしょう?

自分を成長させるため? 誰かの役に立つため? 社会に貢献するため? スキルアップ?
それは本当にあなたの考えでしょうか?
誰かから植え付けられたあるべき姿ではないでしょうか?
だって、社会貢献とか立派な理念の旗を振り、結局はお金のために働く、仕事するって不思議な状態じゃないだろうか?

そして、もっと不思議なのは、お金のために働いて、時間がないから冷凍食品、食品添加物いっぱいの食品、コンビニ弁当って?
何のためにお金を稼いでるの?
お金を得るため働いて、ストレスで爆買、暴飲暴食って、何のための仕事?

私達って、資本家の発想の元、自分を切り売りして生きるのが、働くや仕事になってないだろうか?
経済は成長し続けなければならない。
この世界に成長し続けるものってあるだろうか?
成長し続けるしわ寄せは、環境だけじゃなくて、人々の生活も蝕んでないだろうか?

家事を女性がする必要はないと思うけど、家事を担えるものがいたら食品添加物も減らせるし、コンビニなんかいらなくなる。洋服だってリメイクして着続けられて、ファストファッションだっていらなくなる。
家事を担うものがいたら、保育園不足もない。
成人みんなが社会の労働力では、家事を担うものが不在だ。
でも、家事だって、子育てだって、本当は必要な仕事なはずなのに。

資本家の発想の元、働く、仕事って基本が出来ていて、本来の仕事、働くが偏ったものになってる気がするのだ。
自分の役割を果たす…それが、働く、仕事じゃないのかと思う。
お金がないと生活できない。生きてるだけで税金だってかかるわけだし。食べないと生きていけない。
お金を得る手段が働く、仕事をすることだから切り離せはしないのだが。

大量生産、大量消費をしなければ、お金だってそんなに必要なくなる。
仕事も本当に必要な仕事って限られている気がする。余った人は無職でベイシックインカムが貰えるようになればいいし、お金にならないやりたい仕事が出来るようになればいいと思う。
…例えば、介護保険でまかないきれない、独居老人のお手伝いとか、こども食堂とか。本当はよっぽどそっちの方が、必要な仕事に思えるのだけど。
もう社会の仕組みから変えなければ行けない時代になっているんだろう。

私のやりたい理想の仕事は、庭で無農薬野菜を作って、近所の人に配ること。
雨の日は、noteを書いて、絵を描いて、野菜だらけの食事を作ること。
そんな労働が出来たら、すごくワクワクする。



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