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縄文時代とワンネス


みなさまは、
縄文時代は12000年も続いていたことや、その遺跡から、武器が見つかっていない事、船を作り航海をし他国との広大な行き来があった事をご存知でしょうか?

恐らく、
縄文土器はご存知でしょう。

私は、岡本太郎が
「縄文の力‼︎」
と、絶賛していて縄文土器を知りました。
確かに、日常にあったとは思えない、
工芸品とは全く違うデザイン性や力強さと言った芸術性に驚かされます。
しかも、現在では再現不能な高い技術が備わっています。


そして、
「あれ? 
あの芸術性の高さや技術が、何で受け継がれてないのだろう?」
と、不思議で仕方ありません。

もっと不思議なのは、12000年も平和だったと言う事です。



ここからは、
完璧私のただの妄想です。
妄想ですので、事実とは相違あり過ぎでもご容赦を…。



新約聖書 ヨハネの福音書で「はじめに言葉ありき」
と言うのがあります。

言葉とは、神という事らしいですね。

でも、思い返してみて下さい。
初めての言葉。
それは、アダムとイブをそそのかしたベビの言葉じゃないのかなぁ?
ヘビに唆され、智慧の実を食べる。

智慧の実とは一体何だったのか?
ヘビは、日本や中国では龍、インドではナーガ(ヘビ)、キリスト教では悪魔とも賢者とも…。
何らかのシンボルとして世界に広がって行きました。
ヘビって、一体何だろう?

智慧とは、言葉を介し物語を理解、共有、想像する脳の事だったのではないかと思うのです。
いわゆる、大脳新皮質の革命というべきか…。

物語を理解、共有、想像するというのは、新たなる発展かもしれませんが、それまであった何かを手放す事になったのではないでしょうか。

その手放したものが、縄文時代にはあって、縄文時代以降なくなったもの。
それは、「今中で生きる」事でしょう。


脳(大脳新皮質)は勝手に、目の前にない物語を作り、不安や恐れと言った、虚像を見せます。

過去にあった不快体験を、まさに今、起こっているかのように脳が再現するので、手放す事が出来ません。

…もう、過去の事なので過ぎてしまった事なのに。

起こってもいないこれからの事を、「失敗したらどうしよう」「失ったらどうしよう」と不安や恐れを抱かせます。

さらに、不安を煽る情報を垂れ流せば、物が売れたり、争いを起こしたりする事も出来ます。

…オイルショックやコロナの際に、トイレットペーパーが、買い占めで店頭から消えたりしましたよね。トイレットペーパーがなくなるなど、何の根拠もないのに。

そして、物語であるのに、常識やルール、お金の物語は見えない蜘蛛の巣のように、この世界に張り巡らされています。

まるで、「今中」で過ごす事が出来ないように、仕組まれたようにさえ感じます。



常に、大脳新皮質は呟き続けます。
頭の声が常にしていませんか?
いい事も、悪い事も…。

脳が呟き続け、「今中」を生きる事が出来なければ、操る事は簡単なのです。

「老後資産は大丈夫?」
「どこかの国が攻めてくるかも」

そう言われただけで脳は呟き始め、不安や恐れを作り出します。

YouTubeで、一番視聴率が上がるのは、
そう言った不安を煽るサムネらしいです。

今の世界を作り上げたのは、大脳新皮質が見せる不安と恐怖から逃れようとする心理かもしれません。


ちょっと話しはズレますが、
不安や恐れを土台として家を建てているようなものに見えます。
その結果が、もっともっとと大量生産し、その為に化学薬品を使い、環境汚染を招いているように思います。


「今中」を生きれば、未来や自分や誰かを疑う事も、過去を悔やむ事もないのです。
「今中」を生きられないから、不安や恐れが生じると言って良いでしょう。


そう考えると、ヘビが唆して食べた智慧の実とは、如何なるものか、見えてくる気がしませんか?

その時代が始まるのは、縄文時代のフェイドアウトと重なるのですよね。


ヘビとは一体何だったのか?
智慧の実は一体何だったのか?
それらは、分かりませんし、単に今の時代の形を促す為のモノのようでもあり、これから見えて来る気もするのですが、
その経過を辿る必要があった、ガイアの意思にも思えます。


そこで、
「今中」で生き、ワンネス(宇宙も地球も自然も人も全ては繋がって一つ)を取り戻せば、縄文時代を取り戻せるのではと、思ったのです。


以前から、ヨガはやっていました。
ヨガの時間はまさに、「今中」で自分の呼吸や体を感じ続けます。

プラーナをご存知でしょうか?

プラーナは、宇宙のエネルギーです。
呼吸を意識する事が大事と言われるのは、恐らく、呼吸はプラーナを取り込む事が出来る為ではないかと思います。

ここ最近、森を歩きたくて、時間が空いた時は森に散歩に行っていました。
人の手の入らない森は、鱗粉のようなキラキラが放出されているんです。

散歩の後、アイスコーヒーを飲みながら、そのキラキラを思い出し、ふと、自分の中にもキラキラがあるんじゃないかと思いました。
そして、ボディスキャンするように覗き込むと、自分の中にもキラキラがあって、まるで宇宙みたいでした。

よく、ワンネスを体験した方が、
「世界は愛しかなかった」
「感謝しかなかった」
と言っていて、
「はー、何言ってるの?
 愛って さぁ〜。
 一体何に感謝するのぉ?」
と、思っていたのですが、

本当でした。

体の中のキラキラを見ながら、
自分は宇宙の一部で、
宇宙の全部で、
愛と言うか、
ひたすらの安心感と言うか…。
本当に感謝しかなくて、
自分で
「何に感謝してるの?」
と、思い、
分からないけど全てに感謝しかありませんでした。


で、私は悟りの境地に入ったんですよ
…と、言う訳ではありません。
…残念ながら。

ただ、ワンネスとは、
本当に無条件で幸せを感じるのだと思います。

それは、数時間で終わってしまいました。

私には、そんなに長く脳のお喋りを止めておく事は、まだ出来ませんから…。

でも、誰もがそうして幸せなら、
平和な世界が10000年続くのも不思議ではないと思いました。

ちょっとだけ、縄文人を感じた気がします。
呼吸を、意識しながら、人の手の入らない森を歩くだけで、もしかしたら、縄文人の意識に触れられるのかもしれません。

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