見出し画像

いつだって自分のことしか書けないけれど

去年の下半期、朝ドラ「おかえりモネ」にハマっていました。千葉県民の誇りBUMP OF CHICKENさんが主題歌を担当されるということで、オープニング聴きたさに早起きするうち、物語にも惹き込まれ、毎朝楽しみにしておりました。


あらすじなどは割愛しますが、印象的だったのは、東日本大震災の後に故郷の気仙沼を離れ東京で気象予報士として働き始めたモネと、同じ局でキャスターとして働く莉子のやりとりです。 「ハッピーに生きてきてしまった自分には何もない、だからキャスターとしての説得力がない」と 悩む莉子が、「傷ついた経験のある人は強い」とモネを羨んだ時、横で聞いていた奈津さんが「それは言っちゃダメよ」と諭すシーン。「傷ついたきり動けなくなってしまう人もいる、傷つくこと なんて誰も経験しなくていい、みんなそこにいるだけでいいのだ」、と奈津さん。

莉子ちゃんにとっては「辛い思いをして、そこから立ち上がった強い人」に見えているモネも、実は震災の日に高校受験の都合で地元にいなくて、妹や幼馴染に対してとても引け目を感じていた。あの時役に立てなかったという不甲斐なさや、「自分より辛い人がいるんだから、自分の辛さなんてここでは表に出せない」という苦しさから、モネは地元を離れたのです。

「おかえりモネ」は、ものすごく大きな被害や悲しみから立ち直る人々を描くドラマの存在自体が、「傷ついても立ち直る人って強いね」というメッセージになりかねない危さを、ちゃんと否定しているのがすごいと思って観ていました。当事者の方からしたらまた違った受け止め方なのかもしれず、わかったことを言うようで恐縮なのですが、エンタメとして、事実との距離の取り方がすごく慎重なように見えました。

「あの経験があってよかった」なんてことは絶対にないのだという姿勢を貫くことで、1番大変だったところの人たちをただ題材として消費することにならないように心がけている制作側の姿勢が伝わってきました。物語を通してモネは確かに成長したし、地元を出てからも素敵な人や職 場に恵まれ、恋人もできて、地元の人達との関係もよりよくなっていった。でも、「あの経験を糧にして...」なんてことは絶対にない。

私はずっと、「震災がなかったら、自分は女川の人々と出会っていなかったかもしれない」という事実を、どう考えたらいいかわかりませんでした。あんな大きな被害がなければ、私たちが女川に呼んでいただくことはなかったかもしれないし、こんなに長いお付き合いにはならなかった かもしれない。あの町の皆様に出会えたことは私にとってはものすごく大きな財産です。だけどそもそもの出会いのきっかけを考えると、出会えたことに感謝したりいただいた気持ちや経験を嬉しく思うことすら後ろめたく思ってしまうことが、実は心の中にずっとありました。


いつも仲良くしてもらっている、岩手県陸前高田市のゆるキャラ、たかたのゆめちゃんについてもそうです。震災復興のために生まれたゆめちゃん。ゆるキャラグランプリでグランプリを獲った時は本当に感動したし、今も一緒に、川崎フロンターレさんとのコラボイベントに出演したり、SDGsについて発信したり。明日のきゃらっとフェスでもお世話になります。でも、そんなゆめちゃんが誕生せず、私達と出会わない世界線があったなら。そんなこと考えても仕方ないし、私以上に切実に「あんなことが起こらなければ」と思ってらっしゃる方々がいらっしゃることは重々承知の上なので、自分の中で悶々とするばかりのまま、こんなに年月が経ってしまいました。

そんな気持ちがあったからなのか、「おかえりモネ」が持つ、あの時「いなかった」側の人間や、 1番大変な思いをしたところから少し距離の遠かった人間が抱えてきた罪悪感のようなものを解きほぐしてくれる視点をとても新しく感じました。しかも、同じ「いなかった」と言っても、地元にはいなかったけど仙台にいたモネの距離と、東京にいた莉子ちゃんの距離は違います。そんないろんなパターンがあることまで、丁寧に描かれていました。私は震災の日は大学の短期留学で台湾にいて、あの数日間を日本では経験していません。それゆえの申し訳なさを感じることはありましたが、そんなものは実際の被害に比べたらどう考えても取るに足らないことなので、気に病むことすら烏滸がましいと思っています。でも、10年経ったら、そういう気持ちにすら目を向ける作品が生まれていて、しかもそれが朝ドラというとってもメジャーなメディアだったことに驚いたのです(でも後に、全国で放送される朝ドラだからこそなのかもと思い至りました)。

そして今日また、3月11日です。女川のこと、ゆるキャラの頑張りなど、私も微力ながら発信したい。でもあの日を知らない私が何を言っても空虚な気がしてしまって、毎年すごく悩みます。そんなことないって皆様からたくさん教えてもらったのにどうしても悩みます。この記事の前半部分も、「おかえりモネ」の最終回の頃からずっと下書きにしていたものです。

でも今日改めて考えていたのですが、女川の皆様やたかたのゆめちゃん、岩手県普代村の昆布ブラザーズや福島県浪江町のうけどん...。出会ってきた皆様が、私にとってこの日を、「辛い」とか 「申し訳ない」だけでなく、「好きな人たちや好きなキャラさんがいる場所に思いを馳せる日」 にもしてくださっている。そのことに、やっぱりきちんと感謝していきたいのです(と、これを書いていたらぜんぜん別件で高政さんからご連絡いただいた!ミラクル!)。

なかったことにして上書きするのではなく、起こった出来事を私達に伝えてくださいながらも、 行く度あたらしい明るい思い出をくれる女川の強さ(という安易な表現しか浮かばず歯がゆいです) に、真摯に応えることをしていきたいととても思います。出会えたことや教えていただいたことにまっすぐ感謝したいし、使命を持って生まれたゆるキャラのみんなを、これからもしっかり応援させてもらいたい。経験していないことでも、わかりたいという姿勢は持ち続けたいし、せめて自分に向けてもらった思いには、できる限り応えていくべきだなと。

だって、これは2020年3月11日の自分のツイートなのですが、

東日本大震災から9年の日。不安の多い日々だからこそ、改めて備えを見直さなくてはいけない な。私たちのような仕事は、有事の際、こんな時に...って後ろめたく思ってしまうことも多いけど、こんな時だからこそ、という考え方を教えてくれたのは女川の皆さま。私も早くまた会いに行きたいです!

今日読み返して、改めて確認できました。コロナ禍の初期、突然の状況変化や自分の無力さに落ち込みながらも、アイドル活動を続けようと迷わず思えたのは、「こんな時だからこそ」を実感を持って経験させてもらっていたからです。
ムードにのまれて思考停止するのは簡単。でもそれって本当に誠実なのかな。自分にできることを探しながら向き合うべきだと気づかせてくださった女川での経験。シリアスな発信以外にも、いろんな広め方があると教えてくれたゆるキャラのみんな。皆様からいただいた気持ちを無碍に しないで、発信し続けるアイドルでいたいと思います。

というわけで早速、幸せになれるURLを発信しておきますね


今月末は久しぶりに仙台でリリースイベント、そしてワンマンライブです。東北ゆふぃすと元気かな。そして早くまた、女川はもちろん、みんなの町に伺いたいです!

応援ありがとうございます(゚ω゚)更新頑張ります!