見出し画像

グアテマラの太陽の下、路上でひとり途方に暮れる

夏が本気を出してきた。

家に帰るなりクーラーの効いたリビングのソファーにへたり込むと妻が言った。

「何そのカッコ?ボタン全部開いてるよ」

そうなんだ。濃紺長袖シャツの前ボタンを全部外してはだけて、まるでドブロックのエロいほうのような姿なのだ。

「暑くてしょうがないんだよ。だって猛ダッシュしたからね。バスに帽子を忘れて追いかけたんだよ」

娘がいう
「ママに買ってもらったヤツもう無くしちゃったの?」

バス降りると帽子を忘れたのに気づき、走り去ったバスを追いかけたのだ。ノイズキャンセル機能付きイヤホンで音楽を聴きつつバスを降り、しばらく経つと灼熱の太陽が帽子が頭にないことを思い出させてくれた。

バスはもう見えない。でも追いかけた。次のバス停が終点だ。そこにしばらくは停車するはずだ。走った。リュックが揺れる。音楽が鬱陶しい。耳からイヤホンを外す。風に飛ばされるはずの帽子はない。苦しい。息が詰まる。マスクのせいだ。コロナを恐れる街の衆、すまん、オレはマスクをとるよ。グレーの夏仕様マスクを手に持って懸命に走った。大通りに出ると先の方に停車しているバスが一台。アニメの柄で塗装されてる。しかも頭に抱いていたバス会社と違う。でも乗り込むしかない。運転士が言った。
「中野行き出発しまーす」
セーフ乗り込んだ。
「このバス、いま中野から来ましたか?」
帽子は無事に座席の上でオレを待っていた。

ともかくオレは忘れ物が多い。

あれも照りつける太陽の下だった。グアテマラの田舎道を走るバスを乗り換えた時に、2つのリュックを2つのバスに同時に乗せて両方失ったのだ。そして街道にひとり残された。家もない、店もないひなびた街道にひとり。途方に暮れた。旅程はまだ一週間残ってる。しかも帰りのフライトはロサンゼルスからだ。あれは二十歳の頃の話。

(続く)

ロスから陸路でメキシコを抜けてグアテマラに入った。当時の内戦末期の危うい政治情勢なぞ知らない無垢な私はグアテマラシティとアンティグア、湖の街パナハッチェルをめぐり、帰路についた。メスチーソが多いメキシコも南に行けば行くほどマヤ度をましてゆくが、グアテマラに入るとさらに色濃くなる。民族衣装も隣接した村でもそれぞれ個性があり、色彩や布が違う。村の人々は写真が嫌いなのでカメラを向けるなと注意されたが遠目に何枚か撮った。スマホのない時代、バックパッカーの私にとってカメラは邪魔な存在だった。カメラを守らなきゃいけないし、写真を撮るのが目的になっちゃうからね。

帰路はまずメキシコ国境まで行くのだが、直行便がなかった。つまり途中で乗り換える必要がある。異国の地で長距離バスに乗るのは楽なことじゃない。日本のバスのように親切じゃないからね。運行時間はでたらめだし、どこの停車場に着いたなんてのは教えてくれない。常に緊張感が抜けないのだ。ましてや帰国が近づくと、ともかく帰りの飛行機には乗らなきゃいけないから遅延や乗り間違えなどのハプニングはいらないのだ。

ここにたどり着くまではいろいろあった。メキシコのバスではシートを思いっきり倒して寝ていると、どかーん、グゴガガガー!という轟音と衝撃に跳ね起きた。窓の外を見ると、荒野をデカいタイヤがひとつスローモーションのように回ってる。走行中にバスのタイヤが外れたのだ。山道なら死ぬぞ。

グアテマラで初めて乗った長距離バスは山越えの坂道で真っ黒な煙りを吹きだし動かなくなった。油の焦げた匂いする。乗客は外に出されて炎天下で数時間待たされた。誰も文句言わない。いつものことなのかな。スタートするのにみんなで押したよ。

でもねグアテマラのcamión(バス)はカッコいいんだ。ボロくて窮屈けどカッコいい。トラック野郎のミニチュアみたいにカラフルで個性があるのだ。みんなキラキラしてる。外観はサイコーだ。

アメリカのグレーハウンドバスは治安はともかく広くて快適だった。メキシコも長距離バスは古いが、空調はきいてリクライニングもバッチリでゆったりしていた。

でもグアテマラのは味はあるけど乗り心地はサイテー。暑いし揺れるし狭い。私はハポネス(日本人)の中でも大きい部類なので、小柄なインディオ仕様の直角シートは、膝をまっすぐ向けると膝小僧が前のシートに当たるのだ。3人がけに3人座って私は斜めに構えて短パンの腿がインディオお兄さんに触れちゃう。背の低い帽子を被った労働者風の寡黙なお兄さんたちに囲まれ腹に巻いたウエストポーチを気にしながら寝ることもできない。

メキシコ国境へ向かうバスは早朝出発だ。まず目的のバスを探すのが大変だ。カラフルなボディがたくさん止まってる。番号だとか行き先は表示はあるが似たようなのがたくさんある。やっと見つけてでかいリュックを預ける。オレのリュックはえんじ色でよく目立つ。荷物捌きの兄さんはオレのリュックを高く投げた。屋根に積むのだ。受け手がキャッチし、これまたぞんざいに投げた。防水シートなんか被せない。雨が降ったらおあいにく様。まあ入ってるのはTシャツ短パンと道すがら買った安い土産物だけだ。どうにでもなれ。携帯用のリュックは車内に持ち込み網棚にゴムバンドで格納。バスは無事に時間通りにバスターミナルを出発した。

今回は乗り換えのために途中下車する必要がある。つまり終点まで乗ってればよいわけではない。そんな時のオレの指定席は運転士のすぐ後ろ。拙いスペイン語でまず説明する。ちなみにラテンアメリカで英語は通じない。この旅の最初の頃に気づいた。アメリカからメキシコ国境の街ティフアナに入った瞬間に思い知った。世界は英語でできていないってことを。観光の街ティフアナですらこれだから、いわんやグアテマラにおいておや。ちなみにこの旅の最後にロサンゼルスのダウンタウンに泊まった時知ったのは国境のこちら側も実はスペイン語の世界だったこと。

閑話休題、運転士に言う。
「なんとかっていうpueblo(村)で国境行きのバスに乗り換えるから、そこに着いたら教えてちょーだい」

こうした場合、たいていすぐオッケーが出る。でもあまりに即答だとこっちが不安になる。ちゃんと通じてる?すぐ目をそらすし、復唱してくれないので伝わった感がまるでない。でもしょうがないね、何せこちらは無精髭に短パンの日焼けした異邦人なんだからさ。

ともかく通じた感を得るまでこちらが同じことを繰り返す。でもねオッケーなのだろうが、道中ずっと不安なので停車するたびに問うのだ。

“¿Aquí?” ここですか?
¡ノー!

こんな調子の不安げなバックパッカーであるが行き先に辿りつかなかったことはない。列車と違ってバスの旅が困るのは本が読めないこと。酔っちゃうからね。かと言っておしゃべりするほどのスペイン語能力もない。でも移動中は不思議と孤独感はないんだよな。周りのみんなも旅人だからかな。遠くをずっと見てると意外と速く時は進むものだ。そもそも絶対的な時間なんてない。

舗装していない道路を走るのはバスとトラックばかり。狭い山道をすれ違うのが怖いんだよね。クラクションをお互い鳴らしてさ。

その時もクラクションを鳴らした。見晴らしのいいダートロードは白い土煙りをあげている。おそらくパッシングもしたのだろう。対向車線の長距離バスもパッシングしてきてお互いが停車した。何かあったか?

”Aquí.”
ここだよ。

運転士がこちらを見て言った。
あっちのバスに乗れ。
えええ、オレなの?
こんなところで?
ターミナルでもないし、バスストップもない。周囲は緑の木々ばかりの白いダートロードの上だ。とはいえ選択肢はない。乗り換えるのだ。

運転士に言う、屋根の上の荷物を取ってくれ。お兄ちゃんに屋根に登ってもらいリュックを下ろしてもらう。反対車線に止まっているバスまで歩き、確認する。国境行きだよね?よし。リュックサックをバスの上に積んでもらいバスに乗り込んだ。席について気付いた。ああ携帯用リュックを忘れた!網棚だ!と思うや否や乗ったばかりのバスを飛び出した。ここまで乗ってきたバスはゆるやかに走り出している。「ちょっと待ってえ!」とっさの言葉は日本語だ。バスは徐々にスピードを上げる。声は届いてない。エンジン音にかき消されている。防音室にいるような無力感。追いかけながら叫んだ。ストォオオオップ!英語だ。バスとの差が開く。全速力で走る。でもバスの方が速い。道端の石礫を拾い、勢いをつけて投げた。バスよ止まれ。カツン。ショボい音を残してバスは視界から遠ざかっていった。意気消沈しつつ振り返る。あれ?こっちのバスもいない。国境まで乗ってゆくバスも消えている。しかもオレのリュックを積んだまま。つまりオレは全て失った。乗るバスもない。バスストップでもないので人もいない。地球の裏側の一本道にひとり。

さあどうする?どっちに進む?幸いパスポートとチケット、財布はウエストポーチに入ってる。これだけあれば帰れることは帰れる。着替えは一切ないけどね。でも悔しいのでどちらかのリュックを追いかけることにした。どっち?でかいリュックは着替えと土産、小さい方はカメラとガイドブック、地図、本。安物カメラはともかく、一期一会の瞬間を収めたフィルムが惜しい。小さいリュックを取り返すことに決めた。乗ってきたバスの行き先はわかってる。同じ道でじっと待っていれば、同じ行き先に向かうバスが通りかかるだろう。闘志が湧いてきた。目標ができれば腹が座る。

しばらくすると来ましたよやっぱり。同じ行き先のバスが。道に飛び出して手を上げ、止まってもらい、あるpueblo(村)のターミナルまで乗せてもらうことにした。席に腰掛けても緊張は解けず、荷物なしの旅の行く末を憂いた。さすがにパンツとシャツは買わないとな。貧乏旅行が本分なので悔しくてたまらない。まさに自業自得なのだが。

ターミナルについた。バスを降りて途方にくれた。谷間を切り開いただけのだだっ広い土の平場にカラフルなバスがそこかしこに何十台も止まっていた。ああ、こんなにあったら探せない。色柄も思い出せない。行き先表示も次の行き先に変わっているだろう。でもあきらめるわけにはいかない。運転士の顔は見ればわかるはずだ。色の記憶を頼りに片っ端から乗り込んでいった。何台のったか知らぬがついに見つけたのだ。乗り込むと運転士と兄ちゃんたちが、待ってたぞと言わんばかりに笑顔で迎えてくれた。「ようJóvenito(若いの)、なにやってたんだ?忘れものだぞ」ってな具合。¡Muchas gracias, señol!

気をよくしたオレは欲が出てきた。でっかいリュックも見つけ出してやる。あのバスが国境に向かっているのはわかってる。エキスプレスバスに乗れば先回りできるはず。運良く見つけたよ。ノンストップの国境行きを。チケットを買いバスに乗り込む。今度は身軽だよ。でかいリュックがないからね。直通バスで終点に行けばよい。朝から疲労が溜まっている。少し眠るか。と思ったが興奮してて寝れない。先に着くかな?リュックはあるかな?バスはそもそも見つかるのか?やきもき、やきもき。結局やきもき続きで国境についた。

バスを降りて道端の日陰を選んでバスを待つ。来るかわからないものを待つのはなかなか辛いもの。でも待つしかない。何度か来たバスに乗り込み荷物は残ってないか聞くが、怪訝な顔をされるだけ。でもついに来たのです。例のバスが。到着して客が出てくる。荷物を屋根から下ろす作業をしていた兄ちゃんが、あちらがこちらに気づいた。おお、どこに行っちゃったかと思ったよ。この荷物お前のだろう?と満面の笑みでいう。そうだよ。オレのだよ。オレのだとわかってたらオレを残して出発するなよ。と心の中でつぶやく。

ともかくオレの身から出たドタバタをこれでようやく収束した。発着所出発から合計8時間くらいの長丁場だった。

ここからメキシコシティ経由してロスまで帰る。残りは一週間だ。遠いなハポン。

P.S. 取り戻した思い出のフィルムを現像して上がってきたのは真っ黒な写真ばかりだった。マヤの500年の呪いかな。

以上

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?