鬱アニメ映画第1位とはどんなものか
1998年に上映されたPERFECT BLUEの公開25周年を記念して、
全国の映画館で約2週間上映された。
この映画との出会いから感想、主要人物別の考察を書いてみた。
※ネタバレを含みますので、ご覧になっていない方はご注意ください※
PERFECT BLUEとの出会い
たまたまX(twitter)を見ているときに誰かがおすすめしているツイートが流れてきて、なんとなく気になっていたPERFECT BLUE。
どんな映画なのかな~とあらすじを読んでみた。
私自身、誰かの心情にフォーカスした映画が好きで、人気のSF映画よりも、ノンフィクションとかちょっと暗い雰囲気の映画を選ぶ思考の持ち主なので、調べていた時に出てきたサイトで、「鬱アニメ映画第1位」というのを発見し、どんなものなのか気になった。
現実的で暗いテーマのものって実写のものしか見たことが無いからアニメ映画でそんなに鬱になるのって…?と興味を惹かれていた。
そんな時に、公開25周年を記念して全国で上映されるというニュースが運よく目に入り、せっかくなら映画館で観てくるか~とお休みを取って観に行った。
さくっと結論をお伝えしたい
ごめんよ、私は鬱にはならんかった。笑
恐らくこれを観て鬱になる人は、【自分の軸がない人】。
未麻のような、自分がどうしたいか・どうやって生きていきたいかよりも、周りの人が望む自分の姿になりたい・みんなに認めてもらいたいという気持ちが強い人。
もしくは、【自分の好きな対象を自分が望む形にコントロールしたい人】。
この映画では、アイドルである未麻に対しての要求がエスカレートしちゃう人が2人出てくるんだけど、自分の理想を押し付ける親とかも同じ部類の人かなと思う。
海外の方は絶対にこうじゃないとは言えないんだけど、協調性を大事にしてきた日本人ならではの感情が強いように感じた。
【誰かのために】と言えばポジティブな感じで聞こえはいいが、【周囲の人から浮かないように、波風を立てないように】というネガティブな感じ。
20代前半とはいえ早くから親元を離れ自立しきっていない未麻だからこそ、周りの期待にこたえたい気持ちと自我との間で悩み苦しんでしまうのかなと思った。
そして何かを深く信仰し、自分の思い通りにならないものは排除したいという気持ちを持つ人の人生が壊れていく様を見た。信仰の対象がそれを望んでいるかどうかに関わらず、自分の人生よりも信仰するものを守りたいというのは、社会的通念とは相容れないものなんだね。
ごめんな、鬱になれなくて。
28歳・社会人7年目の私はちょっと大人になってしまったようだ。
が、作品としてはかなり面白かった。
インセプションを見てるような混乱と充実感があった。
ここからは、主要人物別に考察を書いていきたいと思う。
霧越未麻
一言で言うならば、圧倒的悲劇のヒロイン。
歌手になりたいと上京し、小さな事務所のアイドルとして活動していた彼女は、女優としての評判がいいからと事務所の社長・田所に説得され、アイドルを卒業し女優に転身。
映画序盤で母親と電話するシーンでは、親戚も応援してくれてるのに女優になるなんて、という母親の言葉に対して、女優として生きていくことを伝える。この時はまだ女優になることに対して希望を持っていたが、連続ドラマ「ダブル・バインド」に出演する際に過激なシーンを求められた後から徐々に後悔が生まれてくる。
自分の女優という職業に対する理想と現実に悩み、所属していたアイドルグループ「CHAM」の自身脱退後の成功を目の当たりにしたことで、さらに自分の選択は間違いだったのかもしれないと苦しむ。
それでも周囲の期待に応えるために、ドラマの過激なシーンやヌード撮影にも取り組んでいく。その最中、アイドル時代の未麻が幻想となって現れ、自分を追い詰めていく。
アイドルの未麻が本当の未麻、あなたは偽物、と…。
自宅にかかってくる不審な電話やFAXから始まり、ドラマ関係者の殺人が相次ぎ、精神的に追い詰められていく彼女は、だんだんと現実と幻想や夢の境目が分からなくなっていく。
自分が殺人を犯してしまう夢を見たり、ストーカーに追い詰められたり、過激なシーンのトラウマでフラッシュバックを起こしたり…。映画を見ているこちらもだんだんとどれが現実でどれが夢なのか、意識していても分からなくなるような感覚があった。
一連の事件や出来事からかなり憔悴していく彼女が映され、バッドエンドを予想していたが、映画終盤では、女優としての仕事を継続している未麻が出てくるので、問題はありつつも芸能界で彼女は生きている。きっと仕事から離れる期間があって、「自分が何者なのか」を考え、気持ちも整理できたのかもしれない。
かなり過激な表現が多いものの、芸能人とかYoutuberも同じような感覚になることはあるのではないかと思う。視聴者が知っている・理解している自分と、本当の自分の差に苦しむ人は多いと思う。
映画公開時にはなかったと思うが、SNSが発展した現代では一般の人も同じことで悩んでいるのではないか。ネット上では自分に対して好意を向けてくれる人が多数いる人が、現実でも同じように扱われているとは限らない。未麻と同じように、どの姿が本当の自分なのか分からなくなる感覚を持っている人は増えていると思う。
自分がどうしたいのか、どういう人生を送りたいのか、軸を持っていることの大切さを感じた。芸能界とかって特にそんなイメージだなぁ、軸がないと利用されて捨てられそう。
内田守(MI-MANIA)
犯人筆頭激やばファン。(劇中では名前は明かされなかったので、こいつと呼ぶことにする。)マニアと名乗っているほどのことはある。ファン通り越してストーカー。「未麻の部屋」というwebサイトがあり、本人ではない誰かが日々の未麻の様子を書き込んでいるのだが、こいつが運営しているんだと思っていた。
アイドルグループ「CHAM」のステージの警備員やテレビ局の警備員として登場する。不気味な容姿で未麻を追う姿、未麻のヌードが掲載された週刊誌をかき集めて購入する姿、部屋中に未麻の写真が貼ってあり、暗い部屋で「未麻の部屋」を見ている姿は本当に恐ろしい。
途中まではこいつを犯人に見立てて物語は進んでいるが、終盤に差し掛かったあたりでこいつが犯人でないことがわかる。
「未麻の部屋」で、女優が辛い、やりたくもない仕事をやらされる、アイドルとしてみんなの前で歌うのが最高!というような内容が掲載されるようになり、未麻からこいつに助けてほしい、頼りにしているというようなメールが送られてくる。その結果「俺は(アイドルの)未麻からメエルをもらったんだ!(女優の)お前は偽物だ!」と言い、未麻に襲い掛かるシーンがある。
ここで「あれ?殺人犯はこいつじゃなかったのか」とハッとし、その後殺されるシーンはないが何者かに殺されており、「じゃあ真犯人は…?」となる。
アイドルとしての未麻を信仰しすぎるあまり、おかしくなってしまった一人の男性。
会える距離のB級アイドルに対して強い信仰をする人は今でもいて、たまに地下アイドル関連の事件をニュースで聞くこともある。この物語はフィクションで25年も前に作られた映画ではあるが、現代とリンクするところも多い。ホストに若い子が身の丈に合わないほどお金をつぎ込んでしまうのも感覚としては近いのかもしれない。何かを深く信仰したりすると、人間はおかしくなるんだな、いや、おかしくなっているからこそそこまで信仰してしまうのかな。
こいつからすると、「アイドルの未麻を救おうと戦った人生」だったのかもしれないが、客観的にみるとすごく悲しい終わり方。
日高ルミ
真犯人。正直見終わった後に考察を見て、やっと理解できたってぐらい、映画の中では直接的に犯人だと分かる描写はなかった。
ルミは未麻のアイドル時代からのマネージャー。田所社長からの一言でしか出てこなかったが、彼女自身もアイドル活動をしていた過去がある。これが結構大事なピースかなと。
ルミは未麻にアイドルを続けてほしい、過激な仕事に手を出してほしくないと社長に対して抗議をするが、社長は事務所の経営や女優としての未麻の評判から、女優への転身を勧める。未麻は求められるなら女優として頑張ると言い、アイドルを卒業して女優の道へ。
ルミは恐らくアイドルに対する未練があったのだろう。自分は有名になれなかったからこそ、未麻にアイドル活動をさせたいという執着を持ち、その執着こそが、未麻を女優に転身させようとする田所社長や過激なシーンを提案するドラマの脚本家、ヌードを撮影したカメラマンへの憎悪を生む。そして結果的に殺人を犯す。
後半で幻想(アイドル)の未麻が現実の未麻を殺そうとするが、その幻想だと思っていたアイドルの未麻とルミが重なって表現される。このシーンは頭もだいぶパニックになった。考察を見て分かったが、「未麻の部屋」を運営していたのはルミで、この終盤ではルミはアイドルの未麻と現実の境目が分からなくなっており、自分こそがアイドルの未麻だと思ってしまっているとのこと。(太ったルミが際どいアイドル衣装を身に着けているシーンが出てきた瞬間に頭が真っ白になった。笑)
幻想の未麻と、自分を未麻だと思い込んでいるルミが、現実の未麻に襲い掛かる。最終的には未麻もルミも助かるが、終盤ではルミが病院で生活しており、鏡に映る自分の姿がアイドルの未麻に見えているという描写がある。解離性同一性障害、つまり二重人格としてルミとアイドルの未麻が一人の人間の中に存在する状態になってしまっており、未麻を殺そうとした事件の後、生きてはいるがその呪いは解けないまま残ってしまったということだった。
何たるバットエンド。本人は自分を未麻だと思い込んで生きているから幸せなのかもしれないが、周囲からしたらなんて無様な姿だろう。
3人分の考察を終えての感想
考察を書いて読み返して思ったのは、不幸なのは現実の未麻だけで、
こいつ(内田)もルミもある意味幸せだったんじゃないかということ。
現実よりも自分が信仰するもののために生きたり、そのものになりきったりすることは、とても幸せなことなのかもしれない。
あとはそういう状態であることで、自分が持っている以上の力が発揮されるような気がしてしまうのかな。
これまで「信仰」という言葉をあえて使ってきたけれど、本当に宗教にハマるってこんな感じなのかもしれない。
現実の自分がどんな状況なのかを理解できないくらい没頭してしまい、社会通念上やってはいけないことや犯罪に手を染めてしまう。
信仰が組織的に行われているような状況を目にしてしまえば、その組織がいかにも強大な力を持っているような錯覚が起きてしまうのかもしれない。
宗教もアイドルとかホストも、ハマってしまう原理は同じなのかもしれない。
また、この映画の柱となっている二重人格がある。
物語の中に登場するドラマ「ダブル・バインド」では、途中で脚本家が殺されてしまったことから脚本が物語の進行と共に作りこまれていき、殺人事件の犯人が未麻の演じる少女となり、羨む姉を殺して自分がその姉に成り代わったという結末だった。まさに現実で起こってしまっていたアイドルの未麻と女優の未麻の二重人格とリンクする。そして、アイドルの未麻とルミの二重人格が明かされる。
【アイドルだった時の自分】と【女優としての自分(現実)】に苦しむ未麻。
【アイドルの未麻】と【現実の自分】が分からなくなるルミ。
ルミのように他人である未麻を自分と思い込んでしまうというのは過剰かもしれないが、現代のSNSでも、他人になりきろうと思えばできてしまう。
幻想やネット社会と現実の自分、インターネットが普及する前の時代は慣れていないこともあって境目が分からなくなるということも想像できるし、普及しきった今の時代は誰でも容易にできるからこそ境目が分からなくなるという感覚もあるし、現実以外の居場所があるということ自体が人間にとってかなり難しい問題なのかもしれない。
最近の娯楽(映画だけじゃなくて漫画もゲームも)って何もかも語りすぎ・分かりやすい感じがして、深く考えるっていうことが少なくなってきた実感があるんだけど、この映画にはいろいろと考えさせられた。
(この記事書くのに4時間かかった。)
やっぱり少し昔の作品のほうがおもしろいなと考えさせられた作品でした。また面白い映画を観たら感想書いてみようかな。
この記事の画像には、ポスターで使われていたような深いネイビーとアイドル衣装で身に着けていたピンクをイメージしたんだけど、相容れない色だなぁ。
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