人間はちっぽけだ
SUPはいつかやってみたいと数年思い続けて、先日ようやく北海道の支笏湖で体験をしてきた。
思っていた以上にスリリングな時間だった。
大人になってから命の危険を感じるほどリスクのある経験をしたことがないしそもそも避けてきたから、水深360mに落ちた時に久々に脊髄から危険!という信号を受け取って怖かった。普段頭ばっかり使っていたからか五感を使ったあの瞬間、頭ではライフジャケットを着てるし大丈夫と思いながらも身体が危ない!といったあの瞬間、あぁ、私生きてるんだなぁと感じた。まあ実際は怖くて焦って空気吸うのに必死だったけれど笑
私って自然界の色々なものを利用して、文明の最先端行ってる!なんて幻想を抱いていたけど、自然と対峙した時、無力すぎる、、、と呆然とした。
人間が頂点の世界だと思っていたけど、脳みそが発達して他のものを利用できる方法を思いつけるようになっただけで、威力や規模は劣るという重要な事実を見落としていた。
人間て無力な存在だなと感じる一方でなぜかちょっと嬉しくなった私もいた。
威張ってるあの人がこの地球上で一番強いなんておかしいよね。人間や自然界のものを作ることができないのに、利用してるだけなのに、偉いと勘違いしてる。やっぱり自然は偉大だと可能性の広がりが見えたから嬉しく思ったのかもしれない。
そう思うと、自然には決して勝てないこのちっぽけ非力な私が何をしたって地球規模で見たら何にもならないんじゃないかという当たり前の事実に気がついた。
あれ?じゃあ何かを成し遂げるとか無謀なこと考えるよりも、このちっぽけな命が尽きる短い(地球の歴史からみると)期間を、自分が楽しむことに使ったほうがいいよね?とこれまた当たり前のことに気がつく。
私はマイペースである一方でかなり真面目な方でもある。楽しむよりも役立つと思うことをしがち。
でもその役に立つってどれだけ価値のあること?自分の命でさえ自然に対しては無価値に等しいものだとしたら役立つって...(さらに意味ないのでは?)。極論かもしれないけど、そう考えると役立つよりも楽しいとかそっちの感情の方を大事にしたいという思いが浮かんできた。
どうせ死ぬなら楽しみたいなぁ。
自分や人間の存在を過大評価していたんだろう。
私は何かを成し遂げられる人だ。
人から感謝されて尊敬されて憧れられるべき人だ。
言葉で書くと恥ずかしくなるが、こういう思いがあった。
でも自然の前ではお手上げ状態。
湖に落ちた時、死ぬ!助けて〜と情けないことしか考えられなかった。
日常生活を送っていると、人からどう見られるかや大人としての振る舞いを気にして行動してきたから、久々に手放しで助けてほしいと思った。
その情けなさが人間らしいなと嬉しくなった。
私ももっと無力な人間らしく、童心に帰ってもバチは当たらないんじゃないか。
自然や地球のほうが何億年も先輩で、人間はひよっこ。子供が大人ぶったって、それは単に子供が大人ぶっているに過ぎない。
だったらもっと人生を子どもの頃のように楽しもうよ!
それが支笏湖でのSUP体験で感じたことです。
ドプンっと湖に落ちた時は本当に死ぬかと思った〜笑