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私と汚部屋

私は小学生の頃から部屋を片付けるのが苦手だ。

「部屋を片付けるのが苦手」という言葉で収まらないだろう、と家族には言われるかもしれない。幼い頃の私は「大人になったら治るんだろう」とぼんやり思っていたが、全く治っていない。

部屋は心を映す鏡だとは聞いていた。私はこんなに元気なのに!と思っていたので、それを信じてはいなかった。

いい歳した大人が部屋片付けできないなんて、とインターネットさんに部屋の整理整頓方法を尋ねたりもした。
まず物が多いので捨てること!とか、物の場所が決まっていないからです!とか、なるほどな〜と納得できるアドバイスばかりだった。
そこで家になかったペン立てを買ってみたり、タンスの中の仕切りを作ったりしたのだが、結果はダメ。その時点で決定的な敗因がわかった。

ゴミが散乱していることも、決まった場所に物がないことも、本当に心の底からどうでもいいのだ。


別に物が捨てられないわけでもない。これはいつか使うかもと思って取っておいてあるわけでもなく、ただ純粋にめんどくさい。
面倒。
一念発起して部屋を綺麗に片付けて、掃除機をかけて換気して気分がいい!と感じても、それを維持するのがめんどくさい。
どうして服を畳んで仕舞わなければいけないのか。どうせ着るのに。ハンガーにそのままでいいし、別の洗濯物を干すならシワにならないようにどこかにかけておけばよくない?
テーブルの上に食べ終えた食器があっても、必要になったら洗うから放っておいてよくない?ご飯食べた後洗うの嫌じゃない?
ゴミを捨てるためだけに立ち上がるの面倒じゃない?そこまでしてゴミ捨てなくて良くない?

本当に「面倒」という理由だけで部屋が汚いらしい。


部屋を綺麗に保てる人というのは、面倒だと思っていても片付けるのだろう。
「だって嫌じゃん!」と言われても私は汚いことよりも面倒なことが嫌いだ。
「汚い」ということに対する意識が低いのかなとも思ったが、汚いものは汚いと思っていると思う。部屋が汚いのは嫌だなとは思う。

どうしたら綺麗な部屋を維持できるのか知りたい。

ちなみに私は自分の家に人を呼ぶのが嫌いなんだと思う。その時は楽しくても、友人が帰った後にものすごく疲れる。
「部屋が汚いと友人を呼べないから綺麗にする」という意識は多分ゼロだ。
部屋が綺麗であることのメリットが面倒さに勝らないのだろう。自分でも困る。
けど部屋が綺麗じゃないとダメ人間って感じがして後ろめたい気持ちにはなる。それをもっと顕著に感じるようになればいいのだろうか。慣れすぎなのだろうか。

この「部屋を片付けられない」という状態は、自分の部屋をもらってから今まで数十年続いている。
心を映す鏡なのだとしたら、私の心はどうなっているのだろうか。ぐちゃぐちゃなのだろうか。どこがどうぐちゃぐちゃなのだろうか。部屋掃除できるようになったらどんな風に心が整理されるのだろう。

とは言っても、少しわかる部分もある。
私は私の人生が心底どうでもいい。
明日余命宣告をされても笑っていられる自信がある。「なんかもう死んじゃうみたい〜みんな今までありがとうね〜楽しかったよ〜」とか言うだろう。
そんなだから部屋が汚くても心底どうでもいいんだろう。本当にどうでもいい。

職場だと「他の人が嫌な思いをするだろうな」って綺麗にできるけど、自分だけの場所はダメだ。
誰かと一緒に住んだって、共有スペースは綺麗にできても、自分の部屋だけは汚いだろうな。自分の部屋がなければいいのかな。はは。

とにかくこれを治すためには、自分に興味を持つとか、自分を大切にするとか、そういうところから始めなきゃいけない気がしている。
別に自傷癖もないが「なんで自分を大切にしなきゃいけないの」とか言いたくなってしまう。
自分を大切にすることは数年前からテーマとなっている。職場での自分や、対人関係においての自分を尊重することは、概ねできるようになってきたが…自分一人となると何をどうしていいのか急にわからなくなってしまう。
もう少し真面目に取り組んでみるか…
はぁ…

あなたが自分のために飲み物を用意して、私の記事を読んでくれたらそれだけで嬉しい。