信じること

2010年クリスマス。

何気なく聞かされた「車輪の唄」は歌詞がビビッと来た。涙が止まらなかった。今まで感じたことのないものに出会えた気がした。

直感で「この人たちについていきたい」と強く、強く思った。


自己肯定感の低すぎる私は何度も自殺しようとした。自分の外見が醜くて嫌いで、声も性格も、名前も、書く文字も、才能のないことも、全部が嫌いだったから。


でもできなかった。BUMP OF CHICKENに会いたいという気持ちがとてつもなく強かったから。死にたがりだった私の手を握ってくれたのはBUMP OF CHICKENだったから。「助けてくれてありがとう」と直接言うまで死なないと決めたから。


そして時は流れ2020年。BUMP OF CHICKENはメジャーデビュー20周年目前。私もバンプと出会って10年を迎えようとしていた。


そんな時にベースのチャマが記事になった。

苦しくて切なくて、でも彼がそんなことするはずないなんて信じた。でも現実は残酷だった。

妻子がいる身で、大勢のリスナーがいる身で、なによりもメンバーという大切な仕事仲間がいる身で、こんなに自覚のない行動をする男だったということ。

私はこの事実から逃げてはいけないと思った。ずっと彼らの音楽を聴くことを選択してきた人間として。


そして思った。バンドと私生活は別、たくさん救ってもらったから無条件に許せ そんなのできなかった。

今までは嬉しかった、街中で彼らの曲を耳にすることも、テレビやスマホから彼らの曲を耳にすることも、これからは嘘つきだった人の顔が浮かぶんだ。


私はBUMP OF CHICKENを応援することに人生をかけるつもりだった。

彼らが「信じてくれていい」そう言ったから。

信じることができなかった私が唯一信じられるものだったから。

初めてのライブはBUMP OF CHICKENと決めていたことも

会場でベースの低音が体に響いて「あぁ、本当に彼らは生きているんだ」と、嬉しくて泣いたことも

たくさんのドラマや映画、cmのタイアップに喜んだことも

地上波に出演すると決まって涙を流したことも

眠れない夜を共に過ごしたことも

無計画に山ほど買ったグッズを眺めて頬が緩んだことも

彼らの曲や声を見聞きすればなんでもやれるヒーローのような気持ちになったことも


その思い出の影で彼は裏切りをしていたんだ、たったその1つの事実だけで全てが崩れていくようで。

そんな彼を信じ切っていた自分ですらもまた嫌いになりそうで。



私はこの先BUMP OF CHICKENの楽曲を聴けるのだろうか。答えがいつ出るのか、そんなことは分からない。

だけれどきっと、暫く私は彼を許すことはできないんだと思う。


そしてまた、誰も信じられなくなるのかもしれない。

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