オンラインゲームから煌めきと魔術的な美が消えた

ソシャゲに対して批判的な意見がかなり多いので、了承できる方のみ目を通してほしい。











奇しくも私が幼少から青春時代を過ごした2000年台初頭から2012年頃というのは、オンラインゲームの黄金期だった。
当時はまだインターネットはパソコンや据え置き型ゲーム機の専売特許で、『遠くにいる見知らぬ誰か』と遊ぶ事は普通ではなかった。
自身が操作する無口な主人公と、延々と同じ言葉を繰り返すNPC達。
やりこんだゲームが行き着く先はいつも同じだったが、オンラインゲームだけは違った。
その魅力に取り憑かれたからこそ、さらにのめり込んだ。

だが、今はどうか。

正直な所『オンラインゲーム』に今までの人生の大半を捧げてきた私から見て、今のオンラインゲームは異常でしかない。
戦略性の欠片もないゲームデザイン、ちっとも奥深さの無いシナリオ、見てくれだけで全く魅力の無いキャラクター、プレイヤーを小馬鹿にしているとしか思えない課金システム、そしてそれらを崇めるプレイヤー。
何もかもが狂っている。

民度も最悪、自身の遊ぶゲームの運営チームや、特定のゲームのプレイヤーを叩くのは日常茶飯事だ。

無論、昔もそういう抗争が無い訳では無かった。
オンラインゲームというのは不特定多数のプレイヤーがいるので、当然そこにコミュニティーが出来上がった。
コミュニティーが出来れば、必然的に帰属意識が芽生えた。
帰属意識が芽生えたのなら、違うゲームのプレイヤーと対立するのは自明の理であった。
だがそこには、超えてはいけない一線というのが確かに存在した。
多くないパイを奪い合う仲であり、同じ『オンラインゲーム』を愛するゲーマー同士、確かにそこに慈愛と友愛の心は存在した。誰しもが持っていた。
運営に失望して文句を言う事があっても、それは愛情の裏返しだった。

しかし、この『愛』は儚くもユビキタス社会の到来により消えた。
スマートフォンの普及によりゲームが『趣味』から一介のコミュニケーション手段に成り下がった瞬間、そこに『愛』が加わる余地は消え去った。

多くの人間が電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルに感謝する事が無い様に、少なくないプレイヤーがゲーム開発者や運営チームを無残にも使い捨てた。
否、そればかりではない。
あろうことか自身が遊ぶゲームの運営チームや他ゲームを遊ぶプレイヤーを叩く者までいる。
無論、そこに愛など存在するはずが無い。

つい数年前まで、皆が普通に遊べていた物なのに。
もう遊び方を忘れてしまったのか、はたまた遊び方を知らぬ者が取り返しがつかないほどに滅茶苦茶にしてしまったのか。
只々、私はそれが悲しい。

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