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2月歌会報告

こんにちは。少し遅くなりましたが、2/19から行った九州歌会2月例会の結果をご報告します。今月もネット歌会で15名の参加でした。
今回も個性豊かな歌が揃いました。

早速1席歌のご紹介をします。今月は2首が同点1席になりました。
稲本さんが全く違うテイストの2つの歌を1枚の写真にはめ込んでくれました。どちらにもぴったり合っているのが不思議!

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わたくしめの歌も1席でした!
時節柄オリンピックに因んだ歌でした。
今回の北京オリンピック、波乱に満ちたものでした。メダル候補者たちが、アクシデントと言う言葉では片付けられないようなことでメダルを逃した場面も多くありました。アスリート本人の失敗によるものだけでなく、外的要因やモヤッとするようなおかしな理由で負けた人たちも少なからずいました。
それぞれのアスリートたちが必死にやってきたこと、大会に臨むにあたって抱いた覚悟、抱えきれないほどのプレッシャー……などなど私には想像もつかないことばかりですが、様々な想いが一瞬にして喜びに変わった人とそうならなかった人がいる。
欲しかった色のメダルを手にした選手たちは素晴らしく輝いて見えました。
でも、手にできなかった人たちが色あせて見えたかというと決してそんなことはなく、むしろ敗れた人からしか感じることのできない不思議な魅力というか、なんとも惹きつけられる香りのようなものを感じました。
それはまさに人生にも重なります。
生きていると(自分にも他者にも)勝つこともあれば負けることもあるけれど、敗れた者が身につけてゆくそれを愛おしいと思います。
オリンピックやスポーツを離れ人生のこととして詠もうかなとも思ったのですが、二転三転して結局このようになりました。今回のオリンピックがあまりにもいろいろと考えさせられ、その分感動も大きかったので、切り離すことができませんでした。(不器用ですから……^^;;)

ひさしさんの1席歌……出だしの擬人化が成功しています。4~5行目のちょっとヒネたような口調がなぜだかかえっておおらかさや親愛の情を感じさせる……といった高評価を得ました。
作者は『一見悠々と空を行く雲だけどじっと見つめていると一瞬も同じカタチをしていない。大人物って雲のような人だろうな。内面は激しく変化していても外面は悠揚迫らずデンと構えている。』と。
力の入っていない自然体の詠み方が歌の内容ともマッチしていて私も大好きな歌でした。
余談ですが、今月の提出歌には「風」というワードの入った歌が多く、藤井風さんファンの私はそのたびにいちいちニマッと反応してしまったことを付け加えておきます。(だからと言って配点は贔屓していませんよ(笑))

では、2席と3席のご紹介です。

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紫野さんの2席歌……これも大好きでした。私の今回のイチオシ!
良い歌というのは情景が見えてきます。もちろん概念的・精神的な内容のみの歌もありますが、少なくとも叙景歌は、ありありとその光景を目の前に広げてみせてくれるような歌が良い歌だと思います。
俳句の夏井いつき先生もよく言われていますよね。情景描写をしなさい、あなたの思ったことや説明は要らない。読者を信じなさい。しっかりと情景を描けばあとは読者が自分の経験を踏まえてしっかりとあなたの伝えたいことを受けとってくれます!と。(正確ではありません。意訳かも)
五行歌も同じことが言えると思います。
そういう意味でもこの歌はしっかりそれが出来ています。
駅や周りの風景や掌に置かれた干柿の色も見えてきます。会話も聞こえてきそうです。
特にいいなと思ったのは5行目です。「掌」という漢字は「たなごころ」とも読み、人の心に通じる意味をもっています。
それがうまくこの歌の中で作用していると思いました。
コロナ禍直前に雪深い会津を旅したときに実際にあったことを詠んだとのことです。

石川さんの3席歌……「不安の檻」「寛容の絶滅」という2つの表現に唸りました。
詠み口は淡々と抑制が効いていますが、現在の状況を的確に表現しています。寛容の絶滅などあってはいけないけれど。
『いつの時代も、増殖し出口のない不安そのものが、がんじがらめの檻となる。絶滅危惧種のキリンが個体数を再び増やしつつあるように、ヒトも不安な状況を和らげて寛容や大らかさを世界に呼び戻せるか、問われている。』『「不安な檻」ではなく「不安の檻」が肝のつもり』との作者談です。

他の方の歌もそれぞれに面白く、全部ご紹介できなくて残念です。
もし興味を持たれたらぜひ九州五行歌会または「五行歌の会」にお問合せください。
九州歌会へのご連絡はこのnoteのコメント欄からどうぞ。
ではまた。

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