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6月歌会結果報告

7月も残すところあと1週間となりました。
今頃になって6月の歌会報告をすることをお許しください。

6月もネットでしたが、17名の参加がありました。(大盛況~!)
コロナ禍の中、むしろネットのほうが参加しやすい方も結構いらっしゃって参加率はこっちのほうが高いです。

では早速1席歌をご褒美画像(稲本さん作)と共に。

6月歌会1席画像

はい、ありがたくも私の歌が1席をいただきました。
「朽ちかけた老木」は入院中の父の姿から想起しました。
老人、病気の人、障がいをもつ人……世の中には様々な人がいます。
けれど、それぞれがそれぞれの日々を懸命に生きている。他者が安易に同情するのはどうなのか?
全ての人が自分の日常を凛として生きている、その姿は一様に尊いもの……そんなことをふと感じたのでした。
嬉しかったコメントは
『この歌の凄いところは、見る側のそういった気持ちを不遜だと言いきっているところ。
老木や古木、流木を詠んだ歌なら他にもあるかもしれない。毅然と起つ様を称えるのがせいぜいであろう。
しかし、この捉え方はなかなかできない。』
『幸田文のエッセイひとつぶんが凝縮されているような五行歌だと思った。手練れの業である。』
『見た目ではなく、内実は時を経て堂々と磊落であろう。そう見ている作者が人生に抱く誇りを感じる』など。
いつも思いますが、歌もさることながら九州歌会のコメントのレベルがぁ……!(笑)
皆さん、素晴らしい読みをありがとうございました。

では、2席と3席の歌をば。

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安部さんの歌。
個人的にも好きで2点献上。
素敵なコメントをいくつかご紹介。
『壮大な年月の流れを感じさせてくれました。
幼児のミイラは時を超えて五行の物語を創作してくれましたね。』
『木乃伊という乾いたもの、その眼窩の闇から「青空」に転じるあざやかさに惹かれます。
また「幼児の」という短い年月のはかなさと「五千年」の対比もみごとだと思います。』

ミイラ展に行った作者は、母親であろう女性の傍らに寄り添う1~3歳の二人のおさな児の前で、暫し動くことができなかったそう。
『ヨチヨチ歩きどころか、腕に抱かれて見上げたのは、肉親の顔とどこまでも広がる空ではなかったか。小さな顔の眼窩の深い闇の底には、いつか見上げた青空が深く深く沈んでいることを思ったのは、自分の希いでもあったように思う』と作者コメント。

島さんの歌。
色、匂い、サイダーの弾ける感じが伝わってきて、こちらにも2点献上してました。
他の方も、『昔の田舎の夏休みの光景が浮かぶよう。
サイダーのしゅわしゅわが乾いた喉を刺激しながら潤していく。
読後にもしゅわしゅわ感が残っている。昔は麦の茎だったのねえ…』とか、
『ジブリの絵の中みたいな夏に連れて行かれました!
経験してなくても懐かしさまで誘われて弾ける気分♪』とか、
『夏を一瞬で描ける歌ですね。』とか
『谷内六郎さんの絵など連想しました。』とか。
麦ストローに子供時代の思いを込めて詠んだという作者の島さん。
同じ感動を共有するにはシンプルが伝わりやすいことを学んだ、と言われていました。

さて、実は昨日は7月例会(4か月ぶりの対面歌会!)でした。
そちらも近日中に報告予定です。
ではでは、また。



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