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シン・ウルトラマンを2回観ての感想と考察

 シン・ウルトラマンを2回観た。

 私の両親ですら、誕生したのは「ウルトラマン」の放映より後の話だ。
 なので私は「ウルトラマン」に関して、ますます世代ではない。にも関わらず、私は「小さい頃のヒーローといえばウルトラマン」というほどのウルトラマン好きだ。
 なので表題の作品の制作が発表された時、本当に喜び勇んだ。『エヴァ』『シン・ゴジラ』を創った監督さんで現代にウルトラマンを書き直すって絶対面白くなるに決まってる……!とワクワクして1回目を観に行った。程なくして午後の予定が突然ぽっかりと空いたある日、バイト終わりに2回目を観に行った。
 
 結果、自分でも驚くほど1回目鑑賞と2回目鑑賞で感想が変わったので残しておきたい。
 ウルトラマンが見られて良かったと思ったし終わった後はしばらくウルトラマンのことばかり考えてた。それでも正直、「映画」としては1回目に見た時は「あんまりだな……」と感じた『シン・ウルトラマン』を2回目に観たらまあ面白い面白い。めちゃくちゃ感動したし、映画館を出る頃には物の見事にウルトラマンが大好きだった小学生時代の自分に若返っていた。
 「子どもの頃のヒーローを久しぶりに観に行くぞ!」と意気込んでいた私がなりたかった興奮状態に、鑑賞2回目にしてやっと到達できたのだ。同時に、1回目ではなんでそうなれなかったのかもちょっとわかった気がする。

 本稿(本稿って)(本稿とは)はシン・ウルトラマンを2回目鑑賞で楽しめた理由2点、ファンなのに1回目が楽しめなかったわけで思い当たる理由、及び2回観てもここは違くない?と思ったところについてオタクが書き残している感想文です!!

  • 本編のネタバレをおおっぴらに含みます。結末にも言及してるし映画の展開も全部言ってしまってる。

  • 特にベータシステム、及び登場人物の発言や世界観の設定に関する個人的な解釈と推測を含んでいます。解釈違いがあった場合はごめんなさい。理解を間違えている情報もありそうなので、その場合は「この人も頑張って考えたんだな」と思いつつ優しく教えてください。

  • ここから下は全部が主観でありこめじるし個人の感想なのでできれば「見解の相違だ」で全てを見逃してほしい。特に浅見分析官の話については、私は長澤まさみさんのファンでもアンチでもないしジェンダー的な信条を映画に持ち込むこともしませんが、この映画における浅見分析官の描き方にはわりと否定的なので見解の相違が生まれやすい項目だと思います。諸々了解いただいた上でよろしくお願いします。



1.シン・ウルトラマンの話の核が自分なりに理解できた


 正直これが2回目にこの映画を楽しめた大きな要因だと思う。

 『シン・ウルトラマン』ってどういう話かを自分の言葉で説明すると、私なりの考えだけれど、「ベータシステム」を巡る物語だ。後半は特に。
 「ベータシステム」とはウルトラマンがウルトラマンに変身するためのテクノロジー。外星人やウルトラマンたちが暮らす人類より遥かに進んだ文明社会で、「巨大化し大幅にパワーアップしたヒーローになるための道具」(※)は科学技術の力で実現されている。私たちが学校で習う化学反応式や数学がものっすごく進化すると、ウルトラマンの変身道具が発明されるのだ。たぶん。きっと。
 そんな高等技術を今現在到底持たないし存在も知らない人類が、先進文明の持つ科学技術にいきなりエンカウントして翻弄される話、たぶん『シン・ウルトラマン』はそういう物語なんだと思う。

 そしてこの「ベータシステム」という頻出単語が指す意味をまるで理解できなかったことが私の『シン・ウルトラマン』1回目鑑賞がフワフワした体験になった大きな理由かなと思う。


※巨大化&パワーアップ技術を「ヒーロー」以外の目的で使う奴はいないのかというと、いる。©️メフィラス戦



蒸気機関≒テレビ≒AI≒ウルトラマンの変身道具


 「ウルトラマンは巨人だし強い」というこれまでの常識を「実は遥か進んだ文明の利器の力によるものであって文明さえ進めば人類もウルトラマンになれる」という方向に持っていった上で、「ベータシステムと発展途上天体・地球」を描いた話なんだな!と思うとだいぶ楽しかった。

 メフィラスは「先進的な文明を日本に与えることで世界のトップに押し上げる」ことを対価にちらつかせながら人類の自分への隷属を目論むわけだし、ラスボスのゼットン戦では「未到達のテクノロジー・ベータシステムを解明することで人類勝利の鍵が開ける」っていうことだったし……。さらに人類がベータシステムの獲得に大幅に近づいたことで「この星の未来を守る」と「神永を生かす」ことをリピアが両立しようとした背景も理解できるし。何より自分たちの守り神のような外星人の生態の鍵を握る科学技術、それが魔法でも超常現象でもなくあくまで理論上人類もいずれ到達可能な「未知の科学技術」だったら?っていうところにすごくSFみを感じて面白かった!!

 浅見分析官が巨大化するシーンも1回目に見た時はメフィラスが言ってた「ベータボックスのデモンストレーション及び人類へのプレゼンテーション(力の差を見せつけ)」という意味しか理解できなかったけど、2回目鑑賞では同じ場面で「ベータシステム」の仕組みや理論の説明が理解できた。巨大化した浅見分析官のステータスがどうなってるかをちゃんと聞く余裕があって、聞き間違いもあるかもしれないけど確か、ただの女巨人に見えるけどめちゃくちゃ硬度が高く温度変化に強い謎物質で皮膚がコーティングされてるんだよ、と。ということはウルトラマンも衝撃や高熱に強い銀色の肌を持っているわけじゃなく、あの皮膚自体は実は人間のすべすべ素肌とさして変わりなくて、ベータシステムによってバリアが張られてるかもしれないんだ……!そう思うと余計に「ウルトラマンも同じひとつの命を持つ生き物」っていうことに説得力が出てくる。

 そう、ベータシステムとは、ウルトラマンとは、いわば蒸気機関や電気やインターネットと同じなんだよね。現在の我々とウルトラマンの間には西暦後の歴史どころか原始人と現代人くらいの文明の差がありそうだけど、「自分たちの力でいずれ発見するし当たり前のように生活の中で保有・使用する概念になる」っていう意味では、同じ。
 科学技術力という意味では正直当たり前のように地球の技術力の秩序上の支配者、生き物の中では最も発達した文明を持つ種族、強者として生きてる(※)から、自分たちの理解に及ばないが先進社会ではスタンダードになっている技術の存在っていうのは衝撃もロマンもあってかなり興奮したな。
 社会の変貌そのど真ん中を生きる若者世代ではあるけど、電気もテレビもケータイもインターネットも英語も物心着いた頃には普通にあったものね。「いずれ手が届く存在であるはずなのに今は到底手が届かないもの」、きっとベータシステムを理解した私の気持ちはヒトが初めてそれらを知った時の気持ちに近いのかもと思う。
 科学の力でウルトラマンに変身できるようになる!っていうのは理解できてもどうすれば実現できるのかはまるでわからないからね……。


※あくまで技術力に限った話なので野生動物や自然災害などに対しては無力だし、視点を変えれば人類が敵わない相手なんていくらでもいると思う。ただ現状、滝くんが劇中で言ってたように「小さな星の国同士」が技術的な脅威を感じる主な要因かもと思います。



人類とベータシステム


 メフィラス山本が登場したあたりから物語はますます「ベータシステム」を中心に回っていくので、そもそもベータシステムってなんぞや?のまま終わった1回目はそりゃ楽しめないわな……と。
 その前のザラブ星人による「スペシウム133」の説明のあたりから「外星人は人類と同じく『科学』を軸とした文明を築いているが、発展しすぎて人類には理解も対抗もできないレベルまで進歩している」っていうのは薄々匂わされていたけどメフィラスとのやり取りで「未知の科学技術を与えよう」っていう話になって。それはまるで原始人にマシンガンを持たせるようなもので。
 ベータシステムの保有に計り知れないロマンと希望を持たせながらも、それがあまりに人類に不釣り合いな存在であること、その力の大きさを持て余して破滅する布石になる可能性が十分あるという一抹の不安も匂わせて。
 結局、絶大な力を持つ未知の技術が人類の手に渡ることはなかった。何も知らないまま、正しい使い道を模索するための下地もないまま、それを握るのはあまりに危険すぎるから。人類にはまだベータシステムは早かった。


 けれど、人類はゼットン戦で一転それを手にすることになる。
 自分たちとかけ離れた高度文明、その威力の大きさや世界にもたらす影響力を身をもって実感した化学兵器、人類の身の丈に合わないと理解した技術を、「自分たちの力で獲得に向けて動き出す」。
 この時点でベータシステムという科学技術を巡るドラマは大幅に動いたな……!と思った。それまでこの技術は「与えられるもの」であることが大前提だし、有害か無害かで言えば有害寄りでだからこそ世界の覇権を握るためにあらゆるトップが欲しがったモノだったから。それをわけのわからないモノで終わらせない、必要に迫られてではあるけれど自分達の身を守るために使おうとするようになる。
 武器商人から買う刀だったものと同じものを、料理に使う包丁として人々が作り始めた……!みたいな……よくわからない?わかる?とにかく私は2回目に滝くんの世界会議を見た時、「ザッツ・ライト・バット・ベーシカリー」を聞いた時に1回目には感じなかった「前進だ!」っていうのを感じたんですよ。
 滝くんが拙い英語で説明してるのがベータシステムを表す化学反応式だっていうのも理解出来た。エスイコール、ラムダ、とか言ってたし何とかの6乗みたいなことも多分言ってたでしょう。未知の文明に対してただただ受動的な態度をとっていた無力な人類が、ついに文明獲得に向けて行動を始めた!行け!2本の足で立って歩け!火を獲得しろ!みたいな、そんな感情で見てましたね……。


 高火力の武器として享受→獲得を目指す到達目標 と「ベータシステム」に対する認識を変えてきた人類がついにゼットン戦で少なくとも「獲得」に成功する。
 これがわかったのでゾーフィが人類を見直してくれた理由、及びウルトラマンが地球を見守りつつ去る理由もわかった気がします……。
 無力、未熟、未発達、本能的、無秩序とかそんな言葉で表されてきた「シン・ウルトラマン」の人類がゼットン戦で見せた団結や友情と愛と知恵に上位概念が心を動かしてくれた、というのも非常に好きだしそうあってほしい(「生き残るために強くなるの。そのための知恵と力でしょ」という台詞(※)が私は非常に好きなので。それこそ弱く小さくも確実に生き残ってきた人類の在り方だと思う)。ただ、そんな感情論な美談だけではなく、利害や合理性というドライな観点から見てもゾーフィが地球を存続させてくれた理由がやっとわかったなと……!スッキリしました。

 そして人類は「ベータシステム」という重要なアイテムを手に入れることには成功したが、それを文明の中に組み込むにはまだまだ時間がかかる。ただ、共に過ごしてきた禍特対なら、そして自分が見てきた人類なら、これを実用化して自分たちと同じく自ら外星人や禍威獣(生物兵器)に対抗できる種族になる日が必ず来るだろう。それを信じて、いや、確信していたからこそウルトラマンは地球を去ったんだろうなと思うし、同時にこれから地球に訪れるさらなる脅威も理解できました。
 それこそ原始人の打製石器と現代人のミサイルくらい力量や技術の差が開いているからまだまだ人類は未熟であり続けるものの、ヒントを与えたら実際にベータシステムを解明してゼットン撃退の作戦まで立てることができた滝くんがいたし、遠い未来ウルトラマンたちと対等に渡り合える強者になることは間違いないでしょう。シン・ウルトラマンの人類は、精神性という意味だけではなくベータシステムを巡る技術力でも認めてもらえる存在になったと思う。
 もちろん認めてもらえるのは将来性だけどね。

 この辺が自分なりに把握できたので2回目はすごく楽しめたな〜!
 1回目にこの辺が理解できなかったのは多分「ベータシステム」「マルチバース」「プランクブレーン」とかのカタカナ語及び他の用語のせい。この映画、全体的に展開が早いので用語を理解できなくてもあっという間に次に進んじゃうんだよね……。そこはちょっと改めてほしい(?)
 な、なにそれ?と思った単語を理解できないまま展開が進んで、しかもその後当たり前のように使われるから「さっきからずっと言ってるそれは結局どういったものなんでしょうか……」のまま気づけばゼットンが目の前にいるしウルトラマンはブラックホールに飲み込まれるし米津玄師の曲が流れてくる。こんなに状況説明が多い映画なのに重要単語に関するやさしい説明やおさらいがないのはなんでや……!
 あと単語・語彙が軒並み難解なので「まさか現実に存在する単語だから説明は不要ってことなのか!?私が知らないだけなのか!?」っていう気持ちは1回目はありました。2回目に聞いたらどれもわりと意味が理解・想像できる言葉ではあったけど、配慮がない台詞という印象は変わらない。なにせその難しい言葉が文章中に連出するので、いちいち引っかかって「ん?ん?んんん???」ってなってる間に話進んじゃうから。隊長すみません、今の話わかりませんでした。


 ただ「ベータシステム」という存在の概念的な意味、人類と外星人のベータシステムに対する認識の違い、ストーリーへの関わり方みたいなことを理解すると「ウルトラマンが何と戦っているのか」がすごくはっきりして面白かったな。
 ウルトラマンは何と戦っているのか?何のために戦っているのか?もちろん戦う相手は禍威獣であり人々の命と平和のために戦ってくれるヒーローなんだけど、そこに「ウルトラマンはただのヒーローではなく発達したテクノロジーを持つ同じ生命体である」ということが加わると、彼が人類に対して向けてくれている期待や信頼や親しみ、それを獲得するまでの過程がすごく重みを増して。
 「そんなに地球が好きになったのか、ウルトラマン」というセリフにすごく説得力が出るんですよね。
 人類として、映画を見た人として、自分たちの種族を卑屈に感じてはないけれど「人類が愚かである」ということもまた否定はできない。ウルトラマンが命をかけて戦うに値しない下等種族ではないけれど、それでも遥か遠い未来の科学技術を持つ生命体がその命を投げ出してくれることの意味は重いな、と。


※うろ覚えです。




2.引っかかったところもあった


 ベータシステムの他にも2回目に見るといろいろと気づくことがあった。1回目に見た時はハテナマークだった展開で、そういうことだったのか!と理解できたこともあった。
 その一方で2回見ても理解できないところもあった。あれ、と思ったのは主に3つで、

  • 登場人物がみんな物分かりが良すぎる

  • 難解な語彙がたくさん出てくる、状況を理解できないまま話が進む(前述)

  • 浅見分析官の見せ場や存在意義が出番の多さに反比例してイマイチに見える


登場人物の勘と物分かりが良すぎる


 例えば禍特対の神永新二=ウルトラマンだとバレる展開で、「神永がウルトラマンに変身する瞬間を何者かが撮影していてYouTubeにアップしたのだ!」っていうのはいやいやそんな都合良く撮影者なんている?第一状況的には禍威獣とのバトル中で命の危機でしょ?と思ったんですが、それを撮影したのは地球人ではなくザラブ星人、と。しかもその狙いは仲間の禍特対(及び国家権力を持つ彼らに影響を受ける多数の人)さえ敵に回させてウルトラマンを孤立させるため。そのことが浅見分析官の「私のアカウントからアクセスしてる……」という一言(うろ覚え)のあり得なさから推測できて「なるほど!!」となりました。それから、ウルトラマンに対して地球人が示した反応からそれを見ていた多くの外星人に「地球人」の特徴や利用価値をジャッジされてしまった、という経緯も面白かったです。 

 ただ、「同僚(部下)がウルトラマンだった」という事実を隊長の一言であっさり受け入れたり、暴れているのが「にせ」ウルトラマンであることを一発で見抜いたり(この辺は防衛大臣も推測しているのでなんとなくそう感じる、とかは普通にありそうですが)、「後から出てきた方がモノホンよ!」と間髪入れず指摘したり、いろいろ物分かりが良すぎるんじゃない?なところはやっぱりありました。観客はわかってるけどあなたたちはすぐにわかることでもないでしょ、隊員たち。見え見えな事実に全然気づかずに停滞するのももどかしくて鬱陶しいけど、最初から全部知ってるかのように正解ばかり叩き出しても現実味を感じないのは事実かなぁ。

浅見分析官がなぜ信用できるのかわからなかった


 あと、1回目鑑賞時から思っていた「浅見分析官、そんなに役に立ってなくない……?」という疑問は今回も晴れることはなかったな。

 まず前提として、私は浅見分析官という人自体は嫌いじゃないしたぶん有能だと思う。ただ、映画での彼女の描き方にはすごく疑問がある。

 コーヒーの一件、ザラブ星人からウルトラマンを助けに来た時、ほかいろいろな出来事を通してウルトラマンに「地球人としての在り方や美しさを伝えた人物」ではあるのかもしれないけど、作中で何かの解決に貢献したかというと実は一番そういう場面がない気がして……。
 そもそもザラブ星人の段階まででウルトラマンにベータカプセルを託してもらえるほどの信用を勝ち得る出来事や見せ場は私にはわからなかったので「なぜ彼女に?」っていう感想はありました。(「バディ」「信用し合う相手」と語った彼女を、地球人を理解しきらないウルトラマンが試そうとした、という解釈ならまだわかる) メフィラスの一件は、あれは手柄を立てたというよりプレゼンに巻き込まれた結果検体として事件の中心に躍り出たという雰囲気だし。ゼットン戦に至ってはウルトラマンをひたすら鼓舞してはいたけどゼットン分析もしてないし特に手柄は立ててないよね……。
 作中での行動をまとめると概ねこんな感じなのに「ウルトラマンにとって最も距離が近く最も重要な人物」になってしまうのは、それはヒロイン特権でしかないしそれだと言い方を選ばなければ彼女は「しゃしゃってる人」になりかねないんだよね。

 前提として浅見分析官は有能な人で、地球のためや禍特対としての仕事のためにとても誠実で一生懸命な人なのはわかったしだからこそウルトラマンも「あなたの偽者が暴れてる。早く倒して」という言葉に胸を打たれるんだろうけど、熱血な精神性以外で「バディとしての信用」にあたる点はないし、人類代表のような顔でウルトラマンを鼓舞するなら本人がもっとかっこいいところを見せてほしいとは正直思った。戦っていないのに強気な態度を取るのはただの偉そうな人なので……。一番役に立ってる場面がないに相棒特権かのようにウルトラマンと対等な態度を取り、時に導くようなことを言って、でもいざと言う時は人任せで「ありがとう」の一言だけ言ったり意味ありげな視線だけを見せたりする無責任な人に見えたのはかなり残念だった。

 ウルトラマンの心の支え及び地球人としての見本という役割は十分果たしてるんだけど、それだけならもっとこう他の立場があったでしょう……!それこそ「母性」「包容力」「道を示す者」「美しき心持つ者」とかの持ち味やスタンスが活きる立ち位置は他にあるわけで、でもウルトラマンを激励し共に戦う相棒としてはそれだけでは絶対に不十分で。
 良いことを言うにはそれに説得力を持たせるだけの実力が必要なんですよね。浅見分析官の描き方はそうじゃなかった(ように見えた)のがすごくもどかしい。このキャラなら長澤まさみさんの無駄遣いじゃない?

 清くて美しい心を持ち、「群れ」の生き方、支え合い協力して問題に立ち向かう小さく無力な生命体の素晴らしさを伝えるだけなら正直少年少女ポジでも良かったんじゃない?と思うんだ。無垢な子どもを見て圧倒的強者が何かを学ぶ展開もありよりのありだし。
 それが「大人」でしかも「相棒」という関係になるのなら、一生懸命逞しく生きてる以外の強さやしぶとさ、成熟した価値観とかを見せてくれても良かったのに……!と思う。精神的支柱以外のなんかの角度からサポートできないといくら有能でもその人はただ助けられるだけの存在になってしまうし、船縁さんや滝くんにはそれができてたじゃない?と。精神的支柱になる「だけ」ならむしろ子どもでもできるし、他の隊員がそれ以外のアプローチでウルトラマン及び地球防衛に貢献していたからこそ、「相棒」にそういう活躍がないのは引っかかりました。

3.神永新二がさらに好きになった


 1回目より冷静に見られた2回目鑑賞でさらに人物像が深掘りできて好きになったのは神永新二。
 1回目の時点で斎藤工かっこいい!朴訥とした感じがウルトラマン感あっていい!とは思ってたんだけど、先進的な文明を知る中で未熟な人類を見守ってくれる彼の成熟感と安心感、なのにコーヒーの件を責められたりするかわいらしさ、みたいなものが2回目はさらに愛おしく感じた。
 そう、神永新二を改めて見ると非常に「成熟感」を受けるんですよね……。発展文明をバックヤードに持ち、人類より遥かに高度な知能と技術を持ちながら見下している感じや恩着せがましい態度がなく、保護者のように遠くから静かな眼差しを向けて時に進むべき道を示してくれる感じ。「明らかに自分より格上の存在である」感覚と、「共存できる相手である」感覚が同時に存在してる温かさをすごく感じた。

私にとってウルトラマンとは「こどもから見たおとな」である



 既視感あるなぁとはずっと思ってたけど、恐らく私が小学生の時にウルトラマンシリーズを見ていた時の感想と神永に対する感想がすごく似ているんだなぁ……。
 人間形態時も含めて、私にとってのウルトラマンは「子どもの頃のヒーロー」であると同時に「大人の男」の象徴でもあったんだよね。わりと親しみが持てるお兄ちゃんキャラのタロウこと東光太郎も含めて、ウルトラマンたちは我々子供たちにはない落ち着きと知性を持っている存在だったし、その特性に対して程良い畏怖を感じることはある「怖い大人」でありつつ本気で怖がったことはなかった。いつでも優しく頼りがいのある存在だった。

 思えばウルトラマンにハマってツタヤでDVDを借りまくってた頃の私は、学校では同級生と上手くいかず、家に帰れば野球中継ばかりで、親や大人への頼り方もまだわからなくて(これがやっとわかったのは高校生になってからだった)、寄り付く場所がない子どもだったかもしれない……。そんな時代に進むべき道を教えてくれる大人であり、怪獣や宇宙人、さらに身の回りで起きる辛いことから絶対に何があっても守ってくれるヒーロー、味方になってくれる守護者、それがウルトラマンたちだったので。 ウルトラマンは正義の味方でもあったし、同時に私の味方でもあった。

 今回の神永新二を見ていると、まさにウルトラマンをそういう気持ちで見ていた頃の自分の気持ちを思い出させられた。
 一番印象的なのは、自分がウルトラマンであることを黙っていて浅見分析官にビンタされた後の「君が同じ立場ならどうした?」。人間の感情の激昂を、暴力という過ちを、強い言葉で糾弾したり見限るのではなくその激しい気持ちを受け止めた上で正しい人になるための方向性を静かに示してくれる。この包容力、器の大きさと知性の深さがまさに「落ち着きのある大人の男」のそれで……。
 こどもから見たおとながそうであるように、優越した頭脳と腕力をもって人間を守ってくれて、どう生きるべきかを親身に説いてくれる、誰よりも人間の味方になってくれている存在、それが神永新二ウルトラマンであることが今回すごくわかってぐっときた……。そこからまた、「浅見くんがそんなキャラだとは」とか砕けた言葉が出てきて徐々に彼が歩を同じくして進める存在になっていく感じにもすごく頬が緩んだな。

 だからこそ最後のブラックホールの場面は前回の比にならないほど胸が痛んだな〜!!
 絶対的存在のウルトラマンが恐らく悲鳴を上げながら全速力で逃げている痛々しさと、その人柄や存在感の大きさから大好きになった大人が今ここで死にそうになっている辛さと……。せっかく好きになったのにもういなくなっちゃうの?っていう気持ち。
 1回目もここの場面は「うわあああやめてえええええ」って思ったけど、2回目にウルトラマンの存在の重さをより理解して、さらに大好きになってからだとショックどころの騒ぎではない。切望と絶望と見ていられないくらいの哀しさと。彼を失いたくないし幸せになってほしいしこれからも見守ってほしい。
 必死に逃げる姿を目の当たりにした時の感想の勇気は嬉しいけれど自分の命を投げ出さないでほしい、という意味では 「そんなに地球が好きになったのか、ウルトラマン」と私も思いました。

結論:ウルトラマンが大好きだ


 2回目鑑賞に行って良かった。映画全体の起承転結を把握しているおかげで理解できた単語や詳細な因果関係もあったし、この話が単なる防衛力(軍事力、かも)をテーマにした寓話ではなく、「未知のテクノロジー」というSFを軸に据えているという自分なりの解釈ができた。

 ただただ顔のいい斎藤工や長澤まさみや山本耕史を眺めての感想ではなく、そこに対して父性や知性、あるいは懸命さ、あるいは狡猾さを感じ取れたことで、物語にぐっと奥行きが出た。小学生の頃の自分にとってウルトラマンが「頼れる大人」だったことを思い出して、このヒーローを前にすると自分も気づかないうちに不安と希望を込めた眼差しで高いところにいる大人を見上げる「子ども」になってしまうことに気づいた。
 成長して薄れることはあっても消えることはない自分の中の「子どもの部分」を、自分は今も彼が受け止めてくれることを期待していると悟った。
 正義の味方を求めていたあの頃からだいぶ年月が経って、友達と口数が少なかった子どもはバイトをする学生になったけれど、結局どこかでいつまでも子どものままなのだ。
 私も大きくなった。もう大丈夫。ウルトラマンだけが頼りの時期は終わったけれど、時々こうして子どもの部分をむき出しにしてヒーローを応援し、確かに自分の味方になってくれる巨人がいることを思い出せたならそれでいい。

 展開の速さに流されて見落とし・聞き落としていた情報を拾えた。1回目の時点では荒唐無稽に見えた物語が、実は点と点が線になっていく複雑な構成であったことがわかると途端にのめりこめた。それでも荒唐無稽だろと思うところは全然あるけど。

 なにより子どもの頃のヒーローに会いにいくにあたって味わいたかった興奮やあの頃と同じ熱量の感動が味わえて良かった。
 私は最終的には8歳や10歳でウルトラマンを見ていた時と同じ気持ちになっていた。どこかでウルトラマンが見守ってくれているから、明日からも頑張ろうと思えた。

 ありがとうウルトラマン。

 とりあえず私はゾーフィのソフビが欲しいです。あのキンキラキンのボディー、めっちゃかっこいい。部屋に飾りたい。デザイン的に言えばこの映画でゾーフィが一番好き。2番目はメフィラス。ごめんねウルトラマン。




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