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豆腐怪談 18話:流行りの黒いやつ

もう随分と日は長くなった。それでも19時を過ぎれば日は落ちて、夜の時間である。前方で輝く宵の明星がひと際明るい。
疫病が怖いこんなご時世だが、今日も川の堤防の道で日課のジョギングをする。人気のない道を走るのに足元を照らすヘッドライトが必要だ。

車が入れないこの道は、いつもなら犬の散歩などでよく人が歩いている。しかしこんなご時世なので、毎日この時間で見る人達は家に引きこもっているらしく、周囲には誰もいない。今この道の人影は遠くに一人いるぐらいだ。
ほぼ誰もいないことをいいことに、マスクの下で鼻歌交じりに走り続ける。
「フフーンフッフーーン♪………ん?」
不意に奇妙な音が耳に入ってきた。

ひゅー、ひゅー、ひゅー……

かすれた隙間風のような音に首を傾げる。
「何だァ?この音」
走りながら音源を探っていると、不意に黒い人影がヘッドライトの光の中に現れた。
「うわっ?!」
黒い帽子に、黒っぽい服、そして流行りの黒いマスクという足から顔まで真っ黒だったので気付くのが遅れたのだ。
急には止まれないので急ぎ方向転換する。堤防道のわきの草むらに突っ込み、たたらを数度踏んで止まった。すんでのところでぶつかるところを避けることができたようだ。
振り返ると、黒マスクの男は何事もなかったかのように堤防の道をそのままゆっくり歩いていた。
「すみません!大丈夫ですか!」
返事はない。こちらを無視しているようだった。ぶつからなくともせめて大丈夫だと、片手をあげるぐらいはせめてしてもいいのでは。
「んん?」
もう一度大丈夫かと言おうとして引っ込めた。あの掠れた音がはっきり聞こえてきたからだ。

ひゅーっ、ひゅーっ、ひゅーっ…!

音源は黒マスクの男だった。一体何の音だろうか。
よく見ると黒マスクの人の頭はゆらゆらと揺れ、足取りはフラフラしている
「別の意味で大丈夫じゃなさそうだなァ」
酔っ払いか、それも体調が悪いのか。
後者なら助けた方がよさそうだ、と黒マスクの人の顔を再び見ようと近づいた。その顔が見えた瞬間、乾いた悲鳴をあげそうになった。
「ひっ……!」

その男は、鼻の頭の下から顔がなかった。鼻の頭から下は何かで抉ったような大きな穴のようなものが空いていて、真っ黒だった。
黒マスクに見えていたものは、闇を思わせる穴だった。

ひゅーっ、ひゅーっ、ひゅーっ…!
あの音は後頭部とかろうじて繋がっている首から漏れた呼吸音だった。その息は鼻に届くことはなく漏れ続け、風に飛ばされ虚しく消えていく。
あの男は何も見えていないような目をまっすぐ前方に向けたまま、力なくゆっくり歩き続け、そして街路灯の下で消えた。
その背中を呆然と見ることしかできなかった。ハッと我に返り、逃げるように家まで走った。


あれは夢か幻覚だったと思いたかった。
しかし数日後、同じ道で顔が半分ない人に出くわしてしまった。ただし先の人と違って、黒いパーカーを着た女性だった。やはり顔の下半分は黒いマスクの様に大きな穴が空いていた。
今度は無言で道を譲り、すれ違う瞬間は思わず目を閉じた。

ひゅーっ、ひゅーっ、ひゅーっ…!

しかし耳に入ったあの掠れた呼吸音は同じだった。
あれ以来、黒いマスクを付けた人がいると、どうしても警戒してしまうようになった

【終】

※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。

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