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豆腐怪談 27話:トイレの個室

「もう飲めねえつってんにのに、飲ませるアホがいるか!」
あまり飲めないのに飲まされすぎたせいか、頭がクラクラしてきた。
しかも居酒屋チェーン店あるあるの大喧騒が悪酔いを誘発しかけたので、たまらずトイレへ逃げこむ。ここは男子トイレでも個室の数が多い。

大喧騒もここでは遠い部屋から聞こえるおしゃべりぐらいの音量で、しかも利用者が少ないときた。抜け出してちょっと休憩するには丁度いい。
一番奥の個室を陣取り、スマホでインスタグラムの猫画像をしばらく眺めることにした。

猫ちゃんがお腹出して寝ている画像は悪酔いによく効く。だいぶ治まってきた。
どれくらい経ったか、ガチャとトイレの扉が開く音がトイレに響いた。
コツ、コツと手洗い場から個室へと歩く足音が響く。その音にオレは違和感を持ったが、違和感の原因まではこの酔っ払った頭では分からん。
出口側に一番近い個室の前で足音が止まった直後、キィと個室の扉が開く高い音がした。
「・・・・・い」
何者かが空のトイレに向かってつぶやく声が聞こえた。

再びコツ、コツ、と歩く音がトイレに響く。隣の扉が開き、独り言が聞こえた。
「・・・は・・」
違和感の理由が分かった。これはヒールの足音だ。女か、女装している不審者がわざわざ男子トイレの扉を開けて何事かつぶやいているらしい。

足音に続いてキイィ…と扉が開く音が、さっきよりは響いた。
「…こ…こ…には…いな…い…」
不審者は個室をいちいち順に開けては何かブツクサ言っているようだ。
さてはお前は暇な変態か。
困った。今扉を開けて個室から出る勇気が、オレにはない。変態に顔を見られたくない。
かといってこのままではいずれ変態はここの扉をノックするだろう。どうしたものか…

考えあぐねているうちに、ついにコツ、コツ、と歩く音がオレの目の前の扉の前で止まった。目の前の扉と床との隙間から赤いラインが入ったスカートとヒールを履いた女の青白い脚が見える。
外側のドアノブに手がかかる音がした。ガチ、ガチとロックがかかった固い音がオレの前で鳴る。
「…あ、あ、あ」
扉の向こうで女の声が聞こえた

「開かなぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」

絶叫が耳に刺さった。声にならない悲鳴と共にオレはビクっとなった。
「お前だね!そこにいるんだね!!お前いるんだね!!そこにいるんだねええええ!!」
ガチ!ガチ!ガチ!ドアノブが音を立てる。
「あたし!あたしだああああ!!これあけてええええ!!」

予想外すぎた変態の絶叫でオレは固まっていた。
しかし鍵を壊されたらお終いだ。上下する鍵部分を必死になって押さえつける。
「あけて!!あけてええええええええ!!!」
誰が開けるかド変態が!変態に襲われるのはご免だ。
ガッという音がドアノブの上でした。見ればドアの薄い隙間から差し込もうと白い指が蠢くのが見える。
オレはその指をはじこうと更に力を入れドアを押さえつける。
「あたしだよおおおおお!!なぜ開けないのおおおおお!!!」
オレはなおも必死に抵抗する。

「開けるわけねえだろ!ド変態が!」
思わず怒鳴ってしまった。

「ああ、開けないのね…おまえなのに」
不意に向こうのドアノブから手が離れた

オレの足元が不意に暗くなり影の中に入っていた。
見上げれば扉の上から何者かの頭頂部が見える。
このトイレの扉の高さは約2mを超えたほどだった筈だ。
足元と扉を隙間には先ほどの赤いライン付きのスカートを着た青白い脚がそこにあったまま。
ベキベキ、ベキベキ…
体のどこかが割れるか伸ばすか、ともかく不快で不自然な音が響く。

コイツは体を伸ばしている。

オレはようやく扉の前にいるものがヒトではないことを理解した。
ベキベキ、ベキベキ
吐きたくなるような不快な音は止まらない。
扉の向こうの頭が上にゆっくりせりあがる。足はそのまま地についていたままで。
「うわ…勘弁してくれ」
ついに顔が現れた。長い髪がべっとりと顔に張り付いた女だった。白目が目の中でぐるりと回転し開いた瞳孔がオレを見る。

「アハハーーア、やっぱりおまえじゃないかぁぁぁ」
そいつはくう、と口の端を吊り上げた。
オレは背中に滝のように流れる汗を感じながら壁まで下がった。
そいつがドアの上に手をかける。その指は青白く爪は青紫色に染まっていた。
そいつはずるりと体を引き上げ、個室の中へ伸ばした半身を乗り出した。

絶叫女はベキベキと音を立てながら、さらに体を伸ばしニタニタと笑う顔をオレの目の前に突き出す。
「おまえええええ!!ほらあたしだよおおお!ねえええ見てよおおおおお!!」
血の匂いと腐臭が顔を背けたオレの鼻を刺し、胃の中にあるものがせりあがろうとする。
背中には壁、逃げ場はない。
「あたしを見てよおおおおおお!!見てよおおおおおおおおおおおおお!!!たすけてよおおおおおオオオオオオ!!!
ソイツはオレの目の前で尚も絶叫する。
「あたしをおおヲヲヲおおおおおお!!ここからだしてえええええ!!!」
「だまれ!訳の分からん事言ってんじゃねえ!」
オレは拳を握り、荒い息を吐きながらソイツと対峙するしかなかった。

どのくらい時間が経っただろうか。
不意にトイレのドアが開く音がした
「おい!大丈夫か?!」

連れの友人の声だった。
その瞬間、目の前の絶叫女は煙のように消えた。
安堵の息を吐きながら、恐る恐る個室の外へ出た。
友人と店員が心配そうな顔を向けていた。
「ずっとトイレから出てこないから心配したんだ」
「この通り大丈夫だ」
友人の後ろでオレが出てきた個室を見た店員があ、つぶやいた。
何か察したのか、店員同士は顔を合わせお互いまたかと言わんばかりの顔をした。
十分後、お会計を済ましてレシートを見ると、サービス割引という謎の項目が追加され、酒代が安くなっていた。

あの女、常連だったのかよ…

【終】


※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。

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