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ChatGPTに哲学はわかるのか? デカルトの方法的懐疑で試してみた。

 今回はChatGPTに哲学を問います。とは言っても僕自身が素人なので難しいことは問いません。方法的懐疑は哲学者のルネ・デカルトが編み出した考え方です。

感覚の疑い:感覚による情報には錯覚が含まれているため、感覚は信頼できない。
物体の存在の疑い:目の前の物体が夢かもしれないと考え、その存在を疑う。
数学的真理の疑い:2+3=5などの数学的真理も、神や悪魔が誤りへと誘導している可能性がある。
自己の存在の確信:これらすべてを疑っても、「疑っている私自身」の存在だけは否定できない。

ダイアモンドオンライン:3分でわかる! デカルト『方法序説』

  一言でまとめると「あらゆるものを疑おう」という考え方です。大事な考え方だとは思いますが、神や悪魔を持ち出したあたり普通の人とは違いますね。僕はこれを2日ほど前(8月24日)に亜紀書房の「ウィトゲンシュタイン、最初の一歩(中村昇)」で知りました。この記事はそのアウトプットの意味も兼ねています。

 閑話休題、ではChatGPTに反論してもらいましょう。おそらくデータベースに入っていると思うのでマニュアル通りの答えが返ってきそうですが、どうでしょうか。

これらの疑いに対する反論は、哲学的な視点からさまざまな方法で行うことができます。それぞれについて説明します。

### 1. 感覚の疑い:感覚による情報には錯覚が含まれているため、感覚は信頼できない。

**反論**: 確かに感覚には錯覚が含まれる可能性がありますが、錯覚を正確に認識できるという事実そのものが、感覚が一定の信頼性を持っていることを示しています。錯覚を錯覚として認識できるのは、他の感覚や論理がそれを指摘し、修正できるからです。感覚は完全ではないにしても、経験の中で繰り返し検証することで、信頼性が高まることが多いのです。

### 2. 物体の存在の疑い:今、目の前には物体がある。果たして本当だろうか。夢かもしれない。

**反論**: 物体の存在が夢かもしれないという疑いは一理ありますが、日常的な経験の中で、夢と現実は質的に異なることが多いです。例えば、現実では因果関係が一貫しているのに対し、夢の中では矛盾が頻繁に起こります。また、夢と現実を区別できる感覚が備わっていること自体が、物体の存在の信頼性をある程度保証していると考えられます。

### 3. 数学的真理の疑い:2+3=5などの数学的真理も、神や悪魔が誤りへと誘導している可能性がある。

**反論**: 数学的真理はその内部で自己完結している論理体系であり、神や悪魔のような外的要因によって誤りへと誘導される可能性があるという考えは、数学の論理的性質を無視しています。もし誤りが含まれるとしたら、その誤り自体が数学的に矛盾を引き起こし、検証可能となります。したがって、数学的真理はその普遍性と一貫性によって、疑いに対して強い抵抗力を持っています。

### 4. 自己の存在の確信:これらすべてを疑っても、「疑っている私自身」の存在だけは否定できない。

**反論**: この疑いは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に基づいており、反論が非常に困難です。自己の存在を疑うこと自体が、自己が存在していることの証拠となるため、自己の存在を確信することは合理的です。しかし、自己の存在は物理的存在とは異なり、思考のプロセスに依存するものであるため、その存在の性質についてはさらに深い考察が必要かもしれません。

このように、これらの疑いに対して反論することで、一定の確信や理解を得ることができますが、最終的には哲学的な視点での深い探究が求められる分野です。

 2番目については僕が少し文章を変えて出題しました。それでも主張していることは同じです。
 最後については本書では(読んだ限り)取り上げられていないので評価が難しい。ただ、最初の3つに関しては的確でなるほどと思わせる内容です。

 普段は哲学を取り上げることはありませんが、たまにはこういう深い(?)話を考えるのも頭の体操になるかもしれません。

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