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「ベルファスト」ネタバレ有感想

名優ローレンス・オリヴィエの再来と謳われた北アイルランド出身の英国俳優ケネス・ブラナーが監督としてアカデミー賞脚本部門を受賞した作品で、予告編を観た時から気になっていた本作ですが最寄り映画館の公開終了間際にようやく観に行く事が出来ました。

オープニングは現在の美しいベルファストの街並みが俯瞰でしばらく流された後に、一転して映像は白黒に変わり1969年のベルファストの街並みの情景に変わります。主人公の少年バディは街の子供達と騎士ごっこに興じて遊ぶ無邪気な子供で将来の夢はサッカー選手。道行く大人達も皆笑顔に溢れていてそこには憎悪など無縁のように描かれています。しかしそんな光景を一変させる如く街中に顔をスカーフで隠した一団がやってきて街中に火炎瓶を投じ、人々が混乱する中で住居のガラスを角材で破壊しはじめます。北アイルランド問題は12世紀頃から始まったイギリス植民地化に端を発し、二つの世界大戦を経た結果、本編では描かれていませんがナチス・ドイツに代表される外的影響やイギリス本土からの独立運動、カトリックとプロテスタントの対立等が複雑に絡み、アイルランド人同士の内戦を経て尚、警察と武装勢力の対立が深刻化していった状況であり、本編で冒頭に描写された様にプロテスタント住民の過激派による私的闘争が一般のカトリック住民を襲撃したわけです。

バディの家は専業主婦の母と出稼ぎ工で家庭を空けがちな父、兄の三人暮らしで隣家には祖父母が暮らしているプロテスタントの家系です。カトリックの懺悔(告解)の習慣を「懺悔さえすれば悪いことをしても許される連中」と蔑視したりする面は有るものの、同じ街で暮らすカトリック住民とも親しく暮らしてきた善良な家族でしたが、不況により家族は金銭面の問題を抱えており、父はカトリック住民を襲撃した一団に旧友が属しており、彼から同士となり武装蜂起への協力を強要されます。他方では街全体が疑心暗鬼の空気が漂い始め、人々は破壊された瓦礫を利用したバリケードで街を自衛する必要性に追われはじめ、笑顔に満ちた街ベルファストは暗澹たる状況に陥ります。

時期的に恐らくハロルド・ウィルソンだと思うのですが英国首相は事態の深刻化に対して機能を果たさないアイルランド警察に見切りをつけ陸軍の派遣を決定しベルファストに英国陸軍が派遣されます。当時を反映させてL1A1(FN FAL英国軍向けモデル)やブローニング・ハイパワー、FV601サラディン装甲車等が登場します。FALってカッコいいと思うのですけどモデルガンとかエアガン化があまりされてない印象ですぬ。ヒストリカル系サバゲとかには相当需要有る気がするのはワイだけでしょうか。

閑話休題。軍隊が派遣されますが住民の水面下での対立と生活環境の悪化は進み、少年バディも学校ではクラスメートの女子に淡い恋心を抱いたりする一方で年上の友人である少女からはプロテスタント住民の権利を守るために立ち上がる秘密組織に協力を強要されたりします。まあ秘密組織っていうか冒頭にも丸腰のカトリック住民をリンチしたギャング団みたいな代物なわけですが。バディの父親が悪友から協力を強要されるのと併せて良識ある穏健派である主人公一家もまた愛国心という同調圧力によって暴力への協力の強要がどんどん避けがたい日常となり経済的な苦境も相まって家庭不和にも結びついていきます。

映画ファンであるバディは西部劇の決闘ものが大好きでジョン・ウエインの勧善懲悪ストーリーに憧れる一方で前述の友人の強要には断りきれず流されて万引きの手伝いをしてしまったりと、幼児だから仕方ないのですが愚かな全能感と迂闊さで自身の状況も悪化させてしまい、最後には成り行きで再び勃発したプロテスタント過激派の武装蜂起に参加する羽目になってしまい商店の略奪に参加し、強要されたとはいえ洗剤を盗んでしまいます。略奪からほうほうの体で逃げ帰って来たバディは母親に洗剤を略奪して来た事が露見。母親はガチギレしてバディを略奪が続く商店に引っ張っていき「商品を棚に戻しなさい!もう一度こんな事をしたらあなたを殺すわ」と叱り、バディを騒動に引き込んだ友人の少女に対しても一喝しますが、彼女の背後にいた夫の悪友によって立場は逆転し、武装蜂起の鎮圧に対して出動した陸軍に対する人質として捕らえられてしまいます。

父親の機転でバディ達は無事助けられますが、この一件でベルファストからロンドンへの引っ越しに否定的だった母親やバディ自身も翻意するしかなく一家は祖母を残してベルファストから旅立ち本作は終わります。

騒動の過程で大病を抱えていた祖父が亡くなり、祖父の葬儀の後で彼を慕った街の住民達によってパブでパーティーが行われ、暗澹たる状況に対する未来の希望と妻への愛情をバディの父は歌い、塞ぎがちだった母にも笑顔が戻ります。

旅立ちの前にバディは想いを寄せていたクラスメートの少女に花を贈り、彼女はバディに一緒に自由研究を行った成果のノートを贈ります。

 バディ「ねえ父さん。僕、将来彼女と結婚出来るかな?」

 父「出来るさ」

 バディ「でも彼女はカトリックだよ?」

 父「……カトリックでもヒンドゥー教徒でもパプテストでも反キリストでも相手を思いやって受け入れれば彼女も家族も歓迎してくれるさ」

 バディ「そっか。」

 父「……待てよ。じゃあ俺も懺悔しないといけなくなるな。そいつは困ったな」

ちょっとしたジョークを交えますが、これを綺麗事と取る人もいるでしょうしその意見は否定しません。ですが、本編ではバディ達主人公一家はプロテスタントであり、本編ではカトリック住民は一方的な被害者として描写されているのですが、アイルランド問題ではカトリックはカトリックで悪名高いアイルランド共和軍(IRA)が本作の時点でバリバリに武装闘争を行っているわけです。本編でもバディの母が夫からのロンドンへの引っ越しに対して「アイルランド訛りを馬鹿にされるのは嫌。それに私達を受け入れてもらえるの?ベルファストで英国軍の兵士が何人も殺されているのに」と述懐させています。北アイルランド問題の予備知識ゼロで本編観ると単に武装蜂起している住民がギャングでしかないのですがそれは意図的な描写であって予備知識込みで観ると本作で視える光景は全く異なるものであり、ここまで酷い惨状で短絡的な行動であるにも関わらずなお、そうは言ってもカトリック側を一方的な被害者とも言えないわけで、かつこの作品はベルファスト出身のケネス・ブラナー監督ご自身の半自伝的作品なんですよね。映画的な脚色はもちろん有るのでしょうけれど、これを描く監督の心情というか内面というかそういうのを慮るともう敬意と居た堪れなさでエンディングテロップ流れている時は本当に複雑な心境でした。しかし、それでも私はこの作品は最後に「全ての旅立った人に」「全ての残った人に」「全ての犠牲者に」捧げられたわけで、本作は日本語版ウェブサイトでも記された人生讃歌であり、陰々滅々な状況を描いてなお、それでも希望と人間の良心を信じる事を止めないケネス・ブラナー渾身の人間讃歌であると断言し心から称賛します。

ちなみに本編で描かれた北アイルランド問題はその後も多くの犠牲者を産んだ後で1999年のベルファスト合意を経て一応の政治決着がつき、以後は今日に到るまでにIRA本体、IRA暫定派等、武装勢力諸派の武装解除も進み最悪の時代から比べれば沈静化されていますが暴力事件が完全に無くなった訳ではなく現在でも注視しなければいけない問題です。しかし殆どの日本人にとっては関心外でしょうしそもそも北アイルランド問題を全く知らないという人も多いと思います。しかし本作で描かれている物事を単純化して大義という同調圧力で他者の権利を侵害するという行為は私達の身の回りでも日常で起こっている事であると言わざる得ません。私達はそうした行為は容易に周囲に同調者を生む事で地獄を生み出す事を学び、良心と勇気を持って否定しなければならない筈です。正直、欧州史オタでもない人に北アイルランド問題を目を通してから本作観てとはハードルの高さ的に言えないのですが個人的にはそれだけの価値がある傑作だと断言出来ます。

現時点での2022年ベスト1位作品です。ケネス・ブラナーあんた最高だぜ!

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