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自己紹介

木村祥一郎
1972年生まれ。大阪生まれ、大阪育ち。

大正13年創業の木村石鹸という大阪八尾にある石鹸・洗剤メーカーの四代目の代表をしてます。

会社は大阪にあるし、出身も大阪なのに、僕はなぜか京都に住んでます。大学で京都に住み始めてから、京都が好きで好きで離れられなくなり、色々あって独身生活にも関わらず、一人京都で暮らしてます。

↑というようなことを書いてましたが、実は、2021年8月末に奈良に引っ越しました。奈良市内ですが、家のすぐ横にはキレイな川が流れ、林もある落ち着いた場所です。京都とはまた雰囲気は違いますが、とても気に入りました。

趣味は、読書だったわけですが、最近は、読書時間より、スマホでSNS見たり、YouTube見たりしてる時間のほうが圧倒的に長く、読書と言えるほどの本も読んでない状態です。

昔は、どちらかというと活字中毒で、古本屋などで興味あるものを買い漁ってきては、片っ端から読んでました。文学、哲学系が好きですが、ビジネス書も読みます。

好きな作家もあげだすとキリはないですが、大きな影響を受けたのは、村上春樹、村上龍、高橋源一郎、阿佐田哲也、開高健、筒井康隆、田中小実昌、寺山修司、大江健三郎、安部公房、中上健次、夏目漱石、奥泉光、谷崎潤一郎、深沢七郎、カミュ、ドストエフスキー、カフカ、カポーティ、ヘミングウェイ、サルトル、ニーチェ、ヴォネガット、オースター... 
基本、雑食で、なんでも読みます。

学生ベンチャー? 起業について

木村石鹸の後継者として戻ってくるまでは、株式会社イー・エージェンシーというITベンチャーで副社長をやってました。

イー・エージェンシーという会社は、もともと、有限会社ジャパンサーチエンジンという、まだYahooもGoogleもない時代に、ネットの検索エンジンを提供してた学生ベンチャーが出自で、僕は、その学生ベンチャーの立ち上げメンバーの一人でした。ジャパンサーチエンジンは1995年創業です。

メディアの記事などでは、僕が起業した、僕が創業した、と読めるものも少なくはないわけですが、正確には僕は創業メンバーの1人に過ぎません。

真の創業者は、現イー・エージェンシーの代表である甲斐さんです。

起業の切っ掛けの話は以下で書いてますので、暇があったら読んでみてください。甲斐さんからの一本の電話がなければ、僕はベンチャー立ち上げに関与することもなかったと思うので、その意味では、甲斐さんは、僕の人生を大きく変えてくれた人です。今でも感謝してます。

以下のエントリーは、2013年にイー・エージェンシーを退社する前に社員皆に送ったメールです。なんか青臭いですが...

自主独立で20年以上生き残ってきたITベンチャー

1995年に起業したITベンチャーで、今も残ってるところは、多分、かなり少ないかなと思います。

それが凄いことかどうかは分かりませんが、イー・エージェンシーという会社は、このIT業界の荒波と猛烈なスピードの中で、自主独立・自己資本だけでやってきた会社です。VCや外部資本を入れずに、社員数200人を越える規模でやってきてるのは、かなり珍しいんじゃないかと思います。単に、成長の絵が描けなかったとか、外部投資家との付き合いが出来なかったとか、それだけの話だったりもするのですが、でも、本当によく生き残ってこれたなぁと。

今の木村石鹸の経営や考え方の殆どは、このイー・エージェンシー時代に培われたものです。成功体験もあれば、今思えばこうしておいたら良かった、ああしておけば良かったと後悔も沢山あるので、そういったもの全て引っくるめて今の経営観になっていると思います。

中でも僕がこの会社で一番好きだったのは、良い会社とは、一緒に働いていて楽しい連中と働ける会社だという考え方でした。イー・エージェンシーでの18年間は本当に楽しかったんです。それは、素晴らしい仲間たちと一緒に働けたからだと思ってます。事業転換は何度もしましたし、幾度もピンチには見舞われました。そんな厳しさの中でもやって行けたのは、本当に社員・仲間が素晴らしかったからだったと思います。

華やかな成功ではないないかもしれませんが、栄枯盛衰激しいIT業界を、会社経験、経営経験ゼロの若者たちがなんとかんとかマネジメントして、生き残って来たということには、僕としても誇らしい気持ちもあるし、また、一緒に働くメンバーが良ければ、仕事なんて何やっても面白いし、気の置けない連中たちとの仕事は、時としてものすごいパフォーマンスを発揮するのだということも身をもって体験して、そんなこんなが僕の仕事観や経営観を形作ってます。

2013年家業の木村石鹸へ

木村石鹸には、2013年6月に戻ってきました。

もうこの分野はまったくの門外漢。戻ってくる時の一番の懸念は人のことでした。

イー・エージェンシーという会社は、ある意味、自分たちが好きなようにやってきた会社です。色々大変ではあったものの、良いメンバーに恵まれて、会社の文化や風土みたいなものも、僕にはすごくフィットしてたわけです

仕事におけるストレスとか精神的な負担のかなりのものが、人の問題だと思うんですが、その意味では、イー・エージェンシーは、かなり負担の小さい会社だったと思います。

しかし、木村石鹸は、2013年当時で、すでに創業89年。小さいながらも組織があり、何十年と働いてる人たちも多く、ある種、出来上がった会社です。そこにはすでに成熟した文化や風土があるわけです。

家業を継ぐ決断をしたときに、覚悟したのは、もう、イー・エージェンシーの時のように、真の仲間というような感覚で、仕事をすることはないだろう、ということでした。

そこは割り切って考えようと思ってました。

しかし、実際、木村石鹸で仕事を始めてみたら、そんな覚悟とか諦めとか割り切りみたいなものは杞憂だったんですね。

皆、すごく良い社員が多かった。仕事への向き合い方も素直というか、真面目な人が多かったんです。一癖、二癖ある社員は多いですが、それでも仕事への取組み姿勢や、人と関係などは、すごく良い土壌があると感じました。なので、跡取りが帰ってきて、古参の社員と揉める、苦しむ、みたいなストーリーは、僕には皆無でした。めちゃくちゃやり易かった。

ただ、一方で、営業や開発は特にですが、極度に失敗を恐れてる印象もありました。新しい取り組みには、皆、あまり積極的ではない。何かを始めようとすると、リスクリスクリスク。責任を負うことを極度におそれてるように思えました。

僕が帰ってきてやってることは、失敗してもいいので、とにかく新しいことにチャレンジするという文化を作るということです。ここは、多分、帰ってくる2013年の前と後では、かなり大きく変わったところだとは思います。

そこで稟議書をやめたり、責任の定義を変えたり、開発依頼書を廃止したり、色々やって少しづつ、新しいことに積極的に取り組む、今のような木村石鹸のスタイルができてました。まだまだ中途半端ですけどね。

今の木村石鹸はどんな感じなのか?

木村石鹸については、色々記事があるので、そちらを見てもらったほうが早いかなと思ってます。どこの記事を読んでも、えらく良い会社に思えます。

だいたいメディアの記事とかは、ものすごく魅力的に、良く書いてくれてるので、これらの記事を読むと、なんていい会社なんだ、って思う方も多いとは思います。

ただ、当たり前ですが、問題がない会社なんてありません。どれだけ順風満帆、素晴らしい会社に見えていても、不満を持った社員は一定数いるでしょうし、悩みを抱えてない経営者なんていないでしょう。

木村石鹸もそうですし、僕自身ももちろんそうです。モチベーションが高い人もいれば、低い人もいるし、ある人にとっては素晴らしい会社だ、文化だという人もいれば、別の人は、こんなレベルの低い会社は信じられない、という人もいるでしょう。

なので、メディアに書かれた木村石鹸像は、2割ぐらい減ぐらいで考えてもらったほうがいいのかもしれません。良い面を拾い上げれば、ものすごく良い会社ですし、悪い面を集めれば、それはそれで沢山あります。

なんか木村石鹸の自己紹介みたいになってきたのでこのへんで... 木村石鹸については以下の記事も参考に。




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