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<Vol.0>自己紹介

なぜ、今、日本に住む外国人600名とビジネスをすることになったのか?という経緯を勝手ながらご紹介させていただきます。

少々長くなるかもしれませんが5分程で読めるものにします。

生まれは愛媛県川之江市(現:四国中央市)
地元川之江高校に進学し、野球をずっとしていました。とても好きでした。

そしてご縁があって東京の明治大学に進学。ごく普通の大学生という感じでした。勉強したり、しなかったり。遊んだり、野球したり。

私はアメリカに28歳から行くことになるのですが、実は20歳くらいの時にはアメリカで野球の仕事がしたいと思っていました。
その当時で言うと野茂選手がアメリカで活躍し、イチロー選手もアメリカに行こうかというくらいの頃だと思います。
ですので就活しても仕方がないと思い、大学4年の夏休みにアメリカ・ニューヨークに行ってみて、野球の仕事は出来ないかとヤンキースタジアムやら、シェイスタジアム(メッツの球場)やら行ってみたのですが、
英語も話せないし、仕事どころじゃないと思い、2ヶ月ほどの滞在で帰国して急いで就活しました。

そんなタイミングでありながら野球の仕事がないだろうかといろいろ探しましたが、さすがに大手のスポーツメディアなどはすでに新卒は終了していたので、たまたま募集があり応募した古舘プロジェクトに入らせてもらえることになりました。

私の希望もあり、今でも東京のお父さんのような存在である「ヨネスケ師匠」のマネージャーをさせていただけることになりました。

ちなみにこの会社は野球の仕事をする会社じゃないぞ!と最終面接で当時の社長(現・会長)に強く言われたのを今でも覚えています。採用されないかなと・・・焦っておりました。

そんなこんなはありましたが、皆さんもご存知の通りヨネスケ師匠は「隣の晩ごはん」という朝の番組の人気コーナーをやっているタレントさんとして有名でしたが、野球にもかなり精通されていて日米ともに数多くの球場にも足を運ばれ、多くの球界関係者との繋がりもあるすごい方なのです。
(※実は本業は落語家さんで、落語芸術協会の理事で偉い方なのです!)

そんなヨネスケ師匠との5年間ともにお仕事させていただき、師匠からのご縁もあり、28歳の時にアメリカのトロントブルージェイズ傘下AAのニューハンプシャー・フィッシャーキャッツに行けることになりました。
師匠もアメリカということで渡米を許してくれまして、温かく夢を後押ししてくださったのを今でも思い出します。

こう書いていくと、いい感じでアメリカに行っているようにも読めるかもしれないのですが、実際はまあ大変でして、まず英語が全く話せないし、行ったものの、家はないしでテンヤワンヤでした。
日本人は唯一「和田さん」という恩人が現地いらっしゃって、本当に助けていただきました。私が住んでいた町からは少し離れた場所にいらっしゃったのですが、何かあるたびに心の支えと生活の支えをしていただき、アメリカ生活を何とかやって行けたように思います。

球団で働いている頃は休みの度に車を5時間も8時間も走らせ、各地の野球場へ行ったり(約50球場くらい)、ボストンの方に助けていただいたりといろいろあるのですが、1年のシーズンを終え、球団に残る決断はせずに、ご紹介をいただきロサンゼルスに行くことになりました。

ロサンゼルスに何があるのかというと、日本人メジャーリーガーのマネジメントをしている会社があるということでご紹介していただき、何も約束があるわけでもありませんが、行くことになりました。
そこで私の面倒を見てくださることになる「高橋さん」にお会いし、いろいろお話をしてくださり、日本人選手のマネージャーをさせていただくことになりました。
(※長くなるのでいっぱい端折りました)

マネジメントの会社では5人ほどのメンバーで今も現役でご活躍選手も含め10名ほどの選手のサポートをさせていただきました。
実際、選手はシーズンが始まると球団での行動が多くなりますので、シーズン中はその人数でも大丈夫だったのかなとも思いますが、オフになるとチーフマネージャーは寝る間もなく(時差があり生活が真逆なので)、契約やトレーニング、家族に至るまで本当にプロフェッショナルにサポートされます。
私もその現場で経験したことは本当に今でも大切にしています。

ここまでかなり説明を端折ったのですが、文章は長くなってしまっておりすみません。

ここからが本題です。

その後、イベント・観光事業の会社の方の縁で転職するのですが、その時の観光事業のイベントで「外国人留学生」と一緒に仕事することになりました。その時で20名ほどの外国人留学生がプロジェクトに関わってくれていました。

その時にすぐ感じたことがあります。

「この子達、ポテンシャルあるな!」と。

でも「日本人はあまりそのポテンシャルに気付いてないな」と。

とてももったいないと思いました。
なぜ私がそのように感じたかというと、それはアメリカで野球選手と一緒に過ごしてきた経験からです。
日本のスーパースターの選手でも違う国で戦うとなると、日本ではなかった苦労が多く発生していたのではと思います。関係者も含め外に対しては一言もネガティブなことは口に出しませんが、正直プレー以外の苦労がとてもあったのではと思います。
言葉の問題、文化の違い、食事の違い、家族の生活の心配(教育・治安)など、日本では全然気にしなくてもいいことが、いっぱい発生します。

そのような現場の近くにいたので、
「外国人留学生にはポテンシャルを発揮するためのサポートが必要だ」とすぐに感じましたし、「それをするのは自分だ!」とすぐに思いました。

が、しかしすぐにビジネスができるとか、そういうことではなかったので、育てていく必要があると思いましたし、日本人に「ポテンシャルあるぞ!」と知らせることがまずは必要だと感じました。
私は有名人でもありませんので、それを知らせるのはそんなに簡単なことではないのですが、それでも今でも大変お世話になっている「滝川さん」はじめ、少しずつではありますが、関心を持ってくださる方は増えていきました。

実際にその当時の会社の中でも、外国人留学生部門はほんの一部で、売上ベースでも高くなかったこともあり、専門的にビジネスとして運営するには難しい状況でした。それでも会社の中でも温かく留学生を受け入れてくれるメンバーも多く、一緒に働く機会も増えていったように思います。

そして今から3年半前(2015年夏)にたまたま会社がイベント事業と観光事業を分けようとなったため、そのタイミングで外国人留学生によるインバウンド事業を専門的に取り扱う「ワン・ステップ」を創業しました。

記載の通り、まだビジネスとしては小規模であったため、どうなるかなとは思っていたのですが、本当に多くの方にお声掛けをいただき、留学生事業は少しずつですが大きくなっていきました。

5カ国20人くらいから始まった外国人留学生組織も
2019年3月現在では「40ヵ国600人」以上の組織になっています。

これは外国人留学生同士の繋がりで広がったネットワークで、ほとんどリクルートもしないで広がった仲間です。本当に誇れる仲間であり、且つ、それぞれが自国を代表するオリンピック選手のように、誇りをもってビジネスにも取り組んでいます。

外国人留学生組織としては日本国内でも上位に入るほどの組織ではないかと自負しています。
これは人数の多さではありません。人材のクオリティの高さと組織の強さであり、ビジネスに対する課題解決の精度です。
ビジネスにおいても年間のべ3000人以上の外国人留学生・社会人が活躍するまでになりましたし、日本国内の優良企業にも多くのメンバーが就職していきました。また帰国して活躍するメンバーも多く、今もコミュニケーションが続いています。本当に今のインターネット社会に感謝です。

この3年半で海外情報発信「What's up TOKYO!」や外国人によるインバウンド研究「TOKYO GLOBAL LAB」などを立ち上げて、日本と海外の多くの人の役に立つ情報を提供できるようにと活動していますが、

これからもおそらく今以上に日本在住の外国人ネットワークだけでなく、帰国するメンバーも多くなり海外でのネットワークもかなり広がっていくと思います。本当にみんなの活躍も楽しみですが、私自身、私の会社の成長も本当に楽しみであると感じています。

私はこれからも外国人人材が最大限力を発揮できるような外国人人材育成と外国人事業の両方で日本を代表するようなプロフェッショナルになれるよう進んでいきますので、多くの人に助けてもらいたいですが、一緒に歩いてもらえる人も増えたら日本の社会はもっともっとよくなると信じています。

長文ではありましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


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