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≪vol.67≫自己責任は難しい

「荷物の管理は自己責任でお願いします。」
というのを、日本だとよく使われる言葉ですが、

僕の勝手な印象ですが、日本はあまり自己責任の感覚がないと思っています。言葉では使うけど、実際そうじゃない。
そういう教育、文化だと思っています。

もしどこかのお店やイベント、アトラクションなどで、
荷物は自己責任で管理してください、って言われて、
モノが無くなったとしたら、
日本だと、そのお店や施設をそれなりに責めるとは思います。

自己責任とは言え、ちょっと見といてよ!って。

でも、海外(ざっくり過ぎてすみません)なら、
荷物が無くなったとして、お店や施設にクレームを出しても
ほぼ対応されないのではないかと思います。
だって、自己責任だもの。。。と。

外国人といると、いろんな場面でそういうことを感じます。
日本だと、マスクをしなさい、と言えば全国民的にするし、
イベントの自粛となれば全国民的に実施する。
また「来月から大丈夫」と政府が言えば、
大丈夫なんだと思って、活動が活発になる。

人を信用するという習慣、文化がある。

例えば、中国の留学生だと、
政府が発表していることは、本当かどうか信用できないという意見を言う子もいて、自分で自分の身は守らないといけない!と思う子もいるし、

欧米の留学生でも、
人が言ったことが本当かどうか疑うことも多い。
それは、他人を信用していないのとは別の話で、

もし、それが間違っていたときの責任は”自分にある”という意識がある。
また、契約社会といわれたりしますが、
契約されていないものは変更されても仕方がない、という感覚もある。

日本だったらそれなりの口約束で信用できるものだが、
そういう文化ではない人も多い。

だ・か・ら
説明が必要以上に大切になります。

===
なんか、わかるじゃん。
みんなそういう感じじゃん。
わかってよ。
昔からそうなんだよ。
暗黙の了解だよ。
===

というような、感覚的なことは通用しないことが多いです。
こういうのって、どうしても立場が上の人が有利になっている仕組みだからです。
このルールだと、下の立場の人は”有事の時に”戦えなくなってしまうからだと思っています。

説明するのってなんか”粋じゃない”ってことも感じますが、
”説明しない美学”はアート等の感覚文化ならいいと思うのですが、
いろんな国籍、文化がまじりあう場面では、
必ず”言葉””映像”を用いて、理解を得るまで伝えないと、
イメージに近い結果に近づかないということが多くなってしまいます。

『問』
なんで、お世話になっていないのにメールで
「お世話になっています」って書くんですか?
と言われたときに、
「そういうもんなんだよ」以外で答えてあげてください。

読んでいただきありがとうございました。

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