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交通事故で三途の河をバタフライしかけたから社長を目指す話

ズボラ男子の社長日記#4

目を覚ました時、何かの手術が終わっていて、そこからの記憶しかない人は僕以外にもきっといるでしょう。

僕は2年前、自転車で爆走しているときにバイクと正面衝突して、大怪我を負いました。事故の記憶は全くなく、手術後からの記憶しかありません。
残念なことに、ひき逃げであったため犯人は見つからず、現在も逃走中です。

僕の怪我は、左顎の骨折、左脚の靱帯の損傷、左脚の膝の皿丸見え、体全身にアスファルトで擦れた傷が多数という状況でした。

目を覚ますと、実家の母親が姫路から大阪の病院まで駆けつけてくれていました。
母親は、起きたての僕を一発怒り、

「ほんまに良かった。あんたはついてる。」

と、一言声をかけてくれました。
理解が追い付かない中、顎の骨が折れているため固形物を食べることはできず、チューブで胃の中に真っ白のものを直接流し込む生活が始まりました。ご飯も食べれず、歩くこともままならない生活にイライラが募りましたが、コロナ前であったため嬉しいことに毎日のように友達がお見舞いに来てくれました。

2週間の時が経ち、少し回復を遂げた僕は無事退院し、久しぶりに実家に帰りました。病院では満足な食事は全くできなかったため、実家で食べる母親の料理がどのミシュランよりもおいしく感じたのを覚えています。(ミシュランとか食べたことはありませんが…)

「母さんの飯ほんまにうまい!」

いつも「うまいうまい」と言いながら食べる僕なので、いつも通りの言葉だったのですが、その時の母親は少し涙ぐみながら

「あんたのその”うまい”が二度と聞けへんくなるかと思ったから、
ほんまに良かった」

と、言っていました。
その時に「本当に生きてて良かった」という気持ちと「人はいつ死ぬかわからん」という気持ちを強烈に感じました。

だからこそ、「いつ死ぬかわからん人生を全力で生きよう」と思いました。

「命は大切、命は尊い」ということは、もちろん皆さんわかっていることだと思いますが、本当に死にかけた経験がその命の理解をより一層深めてくれました。確実な明日なんてないし、「明日やろう」とか、「明日伝えよう」とか、「明日」っていうものをあまり信じなくなったのもこの経験からです。「ありがとう」や「ごめんね」も死んでしまってからでは、伝えることも伝わることもできません。後悔のない人生なんてありませんが、防げる後悔はあると思います。
想いを言葉にする」
まずは、声に出して伝えることを大切にしましょう!

三途の河をバタフライで渡るには、まだまだ現世で鍛錬が必要だったみたいなので、この地球でもっと頑張ってみようかなと思います。



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