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誰かを"救う"とは

こんにちは。yudaiです。
胃が痛いし今度は腸内環境も劣悪だしでお腹が死んでいます。救って欲しい。

まあそんなことはさておき、あなたは人を「救った」ことがありますか?落としたものを拾ってあげるとか、電車で席を譲るとか、辛い思いをしている人に寄り添ったとか、なんでもいいです。別に人を救ったことがなくてもいいです。まあそんなちょっと重めなテーマを書き記したいと思います。

僕はときたま、「救う」ってなんだろうなーって考えたりするんですよね。救うって言うと、何かしてあげるみたいな、ピンチを救うようなそういうことをイメージしますよね。「救う」ということの定義としては、僕の中でもそのイメージ通りです。でも、実際に、何をしてあげることが「救う」なんだろうなーって考えると、結構頭ん中ぐるぐるなんですよね。

例えば、あなたの家族、友達、恋人、まあ嫌いじゃない人なら割と誰でもいいです。その人が、何かに悩んでいたり、失意の中にあったりしたとき、具体的にはそうだな、失恋したとか、病気で苦しんでるとか、自分の無力さを嘆くとかですね。その時に何をすれば「救える」んでしょう。そういう時、やっぱり言葉をかけたくなってしまいますよね、「頑張れ」「大丈夫」「そばにいるよ」とか、いろいろ。
でも、言葉は時には相手や自分を守る盾になる時もあれば、相手の心を完膚なきまでに叩き、貫き通す矛になってしまうものでもあると僕は思います。「そばにいるよ」は割と棘がないと考えますが、「頑張れ」や「大丈夫」は相手の捉えようによっては「無責任だ」「もう頑張ってんだよ」ってなっちゃうんですよね。

じゃあどうすりゃええねん。ってなりますよね、僕も完璧に答えは出せません(ここまで書いといて出ないんかい)。やっぱり一人一人人間として違うし、環境も違うから、人間関係で「正解」なんて無いと思います。けど、「より良い答え」くらいは自分では持ってるつもりです。それは、「何も言わんけどそばにいる」です(環境によっては出来ない人もいるかもしれませんが)。そしてその根幹に「何があっても味方だぜ」って気持ちがなきゃダメです。たぶん救えない。
人は意外に何も言われなくとも、そばにいて貰えるだけで安心するもんです。それだけで良かったりするんです。言葉を使った救いは言わば賭けだと思います。良い方にも悪い方にも転ぶ(それを使いこなせたらこんな悩む必要ないですが)。誰かに精神的に寄り添い、物理的にそばにいてあげることが、僕にとっての「救う」だと今は思います。でももっといい答えがあったら聞きたいです。きっと僕の答えでも救えない人は沢山います。どうすりゃ誰も苦しまない世界になるんだろうね。

めっっっちゃ長くなりましたが、今回はこの辺で。ここまで見てくれて、ありがとうございます。長い文章だったから目を休めてくださいね。


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