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amazarashiと私を繋いでくれたあなたへ

こんばんは。引っ越し準備で忙しめなyudai(ぶり大根)です。
最近動画出せないのは体調のこともあるけど荷造りとか断捨離とか忙しくてあまり時間が取れないってのもあります。お許しください。

さて今日は私と、私の大好きなamazarashiというバンドについて話そうと思います。もともとこのブログは自分のことを演奏以外からいろいろ知ってほしくて始めたもので、自分を語る上では絶対に切っても切れないものがamazarashiです。

amazarashiと私が出会ったのはたぶん高専3年生だから18歳ですかね。私は軽音部で、同じく軽音部の友達であったAくんがライブで弾き語っていたのを初めて聴いたのがamazarashiとの出会いです。ちなみにAくんはamazarashiを知るきっかけにもなったうえ、私にテニスを教えてくれた方です。たぶんあの学校にいて、あの学科にいて、彼と出会わなければ今自分は生きていないと思います、そういった意味で本当に感謝してます。本人からしたら「?」って感じかもしれんけど。

まあそれは置いておいて、そのとき彼は何曲か弾き語りをしていたんですが、その中でも「隅田川」がとても印象に残っています。なので自分の中ではamazarashiとの出会いの曲は「隅田川」です。なんか綺麗な曲だなあ、でもどこかさみしいなあ、うーん。。って聴いていました。Aくんとはクラスが同じだったのでバンドの話もよくしました。彼もBUMPが好きで、BUMPの話もしていました。そうこうしているうちに、私はamazarashiに興味を持ち始め、YouTubeで何曲か聴いてみた気がします。「もう一度」と「スターライト」だったかなと思います。その頃はまだ病気でもなかったし、つらいことに囲まれていたわけでもなく、辛いときに「なんか少し前向けるかな」ってたまーーーーに聴いたりする程度でした。その後数年して私は学校を卒業し、就職・上京しました。

新入社員となって1.5ヶ月後、私は適応障害となりました。その後鬱病を発症、休職と復職を繰り返し、ついに退職しました。「働けないし誰かに会うこともめんどくさい、死にたい。でも金は減っていく」を毎日考える日々でした。そんな時、Twitterでamazarashiが好きな方と出会いました(Aさんとします)。AさんのTLを見ていくうち、amazarashiというバンドのことを思い出して、学生の時以来で聴いてみました。その時はSpotifyと契約していたので昔は聴かなかった曲を聴いてみました。その時の一曲目が「エンディングテーマ」だったと思います。気づいたら私はベッドの上で一人号泣していました。「僕が死んだら流れ出すエンドロール」「お世話になった人達の名前がずらっと並べば 何時間かかるかわからないや」。その時死ぬことばかり考えていた私にとって、なぜかこの言葉が救いでした。生きる希望になりました。他の曲も聴き漁っているうち、いつの間にかamazarashiのファンになっていました。「終わり」や「死」、「鬱」を実感させてくれる曲がなぜか好きになりました。でもそんな曲がその時は必要だったのかもしれない。
Aさんとは仲良くなって、何度かご飯食べたり飲みに行ったりして、ひたすら音楽の話をしていました。その中で私の知らないamazarashiの曲を知ることもあったりして。その時知った曲に救われたことも多くあります。だからAさんにも感謝してもしきれません。年が明けてからは会えていないけれど、また会って好きな音楽の話して、度数高いコークハイ飲んで酔いつぶれたいな。

amazarashiは私の命を今日までつないでくれたバンドです。でも私をamazarashiに導いてくれたのは学生時代の友達Aくんと東京の友達Aさんです。amazarashiにも本当に感謝しているけれども、彼らにも本当に感謝しています。本人たちにはその自覚はなくても、私は彼らから多くの勇気と、生きる力を貰いました。それは事実です。個人的なブログでこういうことを書くよりも本人たちに直接伝えるのが一番なんだけれども、それはなんかこっぱずかしいのでやりません。

amazarashiは一番死にたかった時から、今現在まで、ずっと命を繋いでくれています、支えてくれています。今でも毎日死ぬことは考えます。でもそこから一歩進むことを踏みとどまらせているのは、amazarashiの音楽と、友達の存在です。本当にありがとう。

今日は完全に自分の話になってしまいました。ごめんなさい。でも話したいことでした。最後まで見てくださった皆さんありがとう。

では今日はこの辺で。また生きて会いましょう。

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