情報過多に埋もれた「自分の感覚」を取り戻す。
今年2024年の春頃から、しばらくfacebook,Instagramから離れていました。
スマホからアプリを削除したら、普段PCもあまり使わないので、
気づけば半年ほどSNSを見ていませんでした。
外からのノイズをほとんど入れなかったこの時間は大変有用で、
結果的に「わたし」という人間の感覚や意見や欲求が明確になり、
とても良い時間でした。
SNSから離れたきっかけ
きっかけは、子供向けのSNS本を読んだことと、
当時身体の不調に関連して「自律神経のケア」に興味があり、
スクリーンタイムを減らしてみたいと思ったからです。
まずはスクリーンタイムを減らすために、
FacebookとInstagramのアプリを、スマホから削除しました。
こうしてしばらくSNSを眺めることも、
「いいね」のリアクションボタンを押すこともせず、
記事の投稿もせず、
そのための文章の編集もせずにしばらく過ごしていると、
「自分の感覚」が、濃くはっきりとするのを感じました。
だんだんとそれが心地よくなり、
自然とSNSから離れるようになりました。
休まっていなかった脳
SNSのフィードから離れてみてわかりましたが、
わたしのような敏感体質の、
感受性が豊かで物事を感じ取りやすいタイプは特に、
無意識のうちに、色んな情報から、
良いものも悪いものも含め、大小様々に渡る影響を受けがちです。
敏感な人でなくても、
頭で情報を精査しているようで、
突拍子もなく目に入る画像についてはノーガードです。
しかもとっさに入る情報はそのまま無意識の中に入り込んでくるので、
脳にダイレクトに影響します。
無意識は文字通り「無」意識なので、
自分では「こう思っているつもり」「こう受け止めたつもり」でも、
無意識の中の本音は、全然違う受け止め方をしていたりするものです。
そこまでは人間みな、自分をコントロールしようがないんですよね。
どんなに小さな感想でも、それが良いものであれ悪いものであれ、
無意識の中に積もっていくと、結構な量です。
「フィードを眺める」というのはそういう行為で、
無意識にいろんな感想や感情が、薄く、そして小さく、
さらに数十秒毎に、絶え間なく積もっていきます。
そして毎秒ジャッジしているので、ジャッジ癖がつきます。
脳は休まる暇がないどころか、
ずっと何かの情報をインプットし、ジャッジし続けているのです。
本当に欲しい情報を、欲しいときに、欲しいだけ。
「人間の身体は飢餓には耐えられるが、食べ過ぎには耐えられない」
という話があります。
これは情報も同じだと思いました。
フィードという情報ビュッフェをいつもつまみ食いしていると、
いつの間にか脳は食べ疲れていますが、
たまに出会う「美味しい情報」という快感がやめられず
お腹いっぱいでも情報を模索し続けます。
食べ物ならいつか食べられなくなってやめられるかもしれませんが、
情報はそうはいかないのが厄介なところです。
だけどここで思い出してほしいのは、
世の中にどんな名言や、アドバイスや、
美味しいレシピや、
良い情報があろうとも、
取るのは自分、
取ろうと決めて実行するのも自分。
そしてどんな人生の選択肢も、
決めて実行するのは自分です。
見て、知って満足するだけの情報に、
どれだけの意味があるでしょう?
そして私達は、流れてくる情報を待たずとも、
欲しい情報を自分で取りに行くことができます。
行きつけのキッチンカーの出店情報も、
好きなパン屋さんの営業日の情報も、
欲しければ自分で検索できるし、するんです。
わたしはフィードを眺めて情報を釣ることをやめたけれど、
その辺では何も困っていません。
遠くの友人がどう過ごしているかはわからなくなったけれど、
わからなくてもお互いに困らないし、
近況がわかっていなくても、
会えばいつでも仲良くできると感じます。
リアルな幸せを、リアルに味わう。
写真が投稿映えするかどうかも気にしなくていいし、
素敵なものを見つけても、写真に残すか残さないかは私の自由。
素敵なものを見たり経験したりしても、
世の中にシェアしなくてもいいし、誰かに教えなくても良い。
自分だけ、親しい誰かとだけの濃い楽しみを、
そのときのそのままの、その臨場感のままに味わっていい。
誰かや、世の中にお裾分けするとか、
楽しい経験や感動を記録に残しておくとか、
そんなことも気にせずに、
そのとき、その臨場感のまま、その場にいる誰かとライブで味わい尽くす。
「幸せ」はそこにあるし、これがリアルで、
本当の味で、醍醐味。
ありふれた日常含め、
「幸せ」のほとんどは映えるものじゃないし、
わざわざ映えさせる必要もない。
写真を加工しなくて良くなったら、
同時にアラ探しもしなくて済むようになりました。
私がこの目で見て、五感で感じ尽くした、
その「幸せ」が全てであり、
記憶に残っている感触のすべてが、
わたしにとっての「思い出」であり「真実」。
リアル以上の幸せって、ないなって思います。
持病のめまいは出にくくなりましたし、
生活のリズムが整ったことで自律神経が整いやすくなり、
以前より体力があるように感じます。
スマホもPCも「道具」にすぎないので、
頼りすぎることなく主体的に使いたいですね!
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