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スウィートウォールケーキ

いつも、夜眠るときに目をつむると不思議な色が浮かんで見えると言った美術予備校の同期がいた。彼女はいつも淡い色の油絵を描いていた。特に印象的だったのは、薄いブルーの絵。羊が描いてあったかもしれない。

私は彼女の絵が好きだったが、彼女はいつも途中まで描いてはカンヴァスを塗り潰してしまっていた。この絵は駄作だと言わんばかりに。

当時の私には、それがひどく格好良いことのように思えた。そう思ったのは、私が彼女に好意を抱いていたからかもしれない。他の人間が自らの絵を完成させたかどうかなど、当時の私にはどうでもいいことだった。ただ彼女の絵が描かれていく様だけを、私は楽しみにしていた。

甘いシロップのかかったケーキのように、不確かで判然としない思い出。それは確かに、ある種の夢の入り口だったのだ。

■ 今日の1枚

スウィートウォールケーキ 2022.7.11

予備校時代の実話をもとにエッセイ風の文章を書いた。その子のことは当時本当に好きで、一度だけ泣きながら電話したことがある。相手は驚いたことだろうと思う。

何を話したかは覚えていないが、丁寧に対応してもらった記憶がある。そこで私の恋は綺麗に終わった。このことを誰かに話したことはなく、今思い出しながら何故か泣いている。

淡い色の絵を描く作家の中で、彼女の絵が世界で一番好きだ。

■ おわりに

最近、抽象画の制作にnoteの記事が追いつかず、一日に何本も記事を投稿するはめになって、自分が一体何をしたいのかわからなくなっている。

一つの記事で何枚も絵を紹介する方法もあるが、今のところ全く魅力を感じていない。私は多作であることを誇りたいわけでも、一つ一つの絵を並べて比較した上でその良し悪しを判断して欲しいわけでもない。ただ描いたものをできるだけ新鮮なうちにこの場に残しておきたいのだ。そのときの思考とともに。

その絵がその日しか描けないのと同じように、言葉もその日のうちに書き切らなければ嘘になってしまうことがある。その日のうちに書き切ったなら、少なくとも今の段階では、全てが真実であると言えるから、言葉の鮮度が落ちないうちに記事を投稿してしまいたい。

もしかしたら、そうすることで一つ一つ過去から自由になっているのかもしれないな。それはそれで必要な過程のような気がする。

ここまで読んでくれてありがとう。
また明日。おやすみなさい。

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