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果実 Ⅰ,Ⅱ

ここのところ抽象画を描くたびに、noteにその絵をサムネイルにした記事の下書きを作って所感をメモしておくことにしている。

このサイクルは非常に精神に馴染むようだ。いくらでも描けそうな気がする。

■ 二つの果実

果実 Ⅰ  2022.7.8
果実 Ⅱ   2022.7.8

熟れた果実の匂い立つ感じが好きなような苦手なような、という気持ちが画面に出たように思う。

Ⅰを描くのに1分、そこからⅡにたどり着くまで6分かかっている。

果実 Ⅱを見ていると、口の中でグレープフルーツジュースの酸味とトマトジュースの甘ったるさが混ざって、なんともいえない感覚になる。

Ⅰの余白があって想像の余地もある優しい若さとⅡのモワッとした感じを比べると圧倒的にⅠが好きなのだが、Ⅱがあって初めてその良さが引き立つように思い、連作として並べてみることにした。

画面に手を入れるとはこういうことなのだと思う。見えている世界が、まるで変わってしまうことがある。ものの6分で。

目の前の世界を自分の手で作り替える行為は楽しい。どうやら私はそのことに悦びを感じるタイプであるらしい。

■ 創作に求めるもの=フィードバック

数年前、ある編曲家の方と話していたときに、こう言われたことがある。

「君は自分の生み出すものからフィードバックを得ているんだね。僕にとって創作は完全なアウトプットでしかないから、なんだか新鮮だ」

この言葉はのちに、私の創作スタイルの軸となる「自創作オタ活」という概念の礎となった。

私はあらゆる方法で自分の創作世界やキャラクターについての情報を得ようとするし、できることなら誰かの考察も読み漁りたい。ファンアートもたくさん見たい。

ある曲を作ったときに突然、今まで見えていなかったキャラクターの一面に出会い感動で震えることがある。さながら楽しみにしている連載漫画で推しキャラの新たな面に出会った瞬間のように。

それは向こうから自然と見えてきたものであって、私がアウトプットで作ったものではない、という感覚があるのだ。発見した、と言い換えてもいい。

創作のスタイルに正解不正解はないが、より快適な制作パターンや心の中に持っておくと便利な概念というものは存在すると最近は思う。

■ 今日の1曲

数奇なる果実、という曲。果実で思い出したので引っ張り出してきた。

4歳からピアノとクラシックバレエを習っていたためフレーズのボキャブラリーは自然に出てくるタイプの曲だが、新しいものを足しづらいという理由で普段はあまり作らない。

後半に架空言語のコーラスを足したバージョンも存在するのだが、普通にオペラだった。想定の域を出なかったのでそちらは今のところお蔵入りしている。フィードバックがなかったのが原因だろう。

■ おわりに

ここのところ毎日抽象画を描いているが、そろそろ別の絵が描きたくなったのでまた別のシリーズを始めてみた。オタ活の話をしたら推しの顔を描きたくなったのだ。

抽象画は話題がなくなったときのストックにして、明日からはまた別の制作に関する記事を書いていきたいと思う。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
また次回!

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