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言葉というツール

私がはじめてケータイ電話を持たしてもらったのは、高校1年生の頃だ。
今はもう、なかなか見ることがないプリペイド式の機種だった。
液晶はオレンジ色か黄色に変更できた気がする。
電話と短い文章のメールが送ることができた。

毎月チャージのために3000円だけ、お小遣いを多くもらうことができた。
3000円の間でいかに、ケータイ電話を使いこなすか、が、最重要課題だった。
電話なんてかけてしまったら、その3000円は一瞬で消えてしまう。
メールは1日10通までと、自分で決めた。
高い通信料を払ってでも、短い文章でも、メールを送りたい人がいるのだ。
親しい友人や、大好きな恋人とメールをするのが楽しかった。

それからほどなくして、液晶がカラーでメールもし放題という、夢のような機種やプランが発表された。
私や、同年代の子供たちはこぞって新しいプランへ、新しい機種へ変えた。
こんな時代が来るなんて!と飛び跳ねて喜んでいたかもしれない。
回数にも金額にも縛られることなく、自由にメールができるのだ。
もうあれから何年過ぎたのだろう。
いまや、メールだけでなく、自宅のインターネットや通話までもが、かけ放題になっている。

人間にとって、言葉はとても大切なツールだと思う。
他の生物はほかの何か、もっと本能的なもので繋がり、意思疎通をはかり、群れ、生きている。
しかし、人間は言葉なくしては、他の人と意思疎通をはかることはできないし、気持ちや思いを知ることもできない。

最近、LINEいじめという言葉をよく聞くようになった。
SNSでも攻撃的な言葉を書いている人を良く見かけるようになった。
大人も子供も、表現の自由だ!と、言わんばかりに、自由に書き込みをする人たちが増えている。

私が初めてメールをしていた頃はどうだったのだろうと、ふと考えてしまった。
大好きな人のために、メールの文章を考えるのが楽しかった。
短い文章でいかに気持ちを伝えるか、精いっぱい考えていた。
誰かを傷つけるため、攻撃するためのツールではなかったはずだった。

スマホが普及した。
とても便利な世の中になった。
自分の言葉が世界中に発信できるようになった。
だからこそ、気を付けなければならないことがある。
だからこそ、言葉を大切にしたい。

そう、自分に言い聞かせている。

#エッセイ
#LINE
#SNS

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