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掌篇 『化粧ポーチを捨てる』

子どもふたりを風呂に入れたあと私は夕食の準備をしていた。
今日は金曜日。ほんとうなら家族四人で夕食のテーブルを囲む日だけれど、今夜はいらないという電話が四時ごろ夫から入っていた。
「ああそうなの、わかった」
ならば用意するおかずの量も少なくてすむ。大人の男がひとり減るだけで調理の負担がずいぶん減る。が、もちろんそんなことはおくびにも出さない。「悪いね」と電話のむこうの声が言う。

なるべく体にいいものをと有機野菜の宅配を始めたのは、下の子が喘息で、あまりにも体が弱いからだ。体内に入る化学物質を減らせば少しはましになるだろうかと、すがるような思いで宅配を申し込んだ。浄水ポットも買い、飲み水も炊飯に使う水も塩素を抜いている。よその子は水道水をがぶ飲みしても、農薬漬けのスーパーの野菜や添加物だらけの出来合いの惣菜を食べても、けろりとして笑い転げている。なのになぜうちの子は。

「お母さんがもっとゆったり大きく構えてないと」と小児科医に言われると、なんでも上首尾に整える習慣がついてしまった自分を呪いたくなってくる。以前はどんなお仕事を、とそれとなく訊かれ、秘書をしていましたと答えると、医師はごく小さくうなずいた。多忙な上司の仕事が円滑に進むよう機転をきかせて先回りし、自分がサポートできることは何でもして上司の負担を極力減らし、上司の空き時間をどうにか捻出する。そんなことを十二年つづけたのだ。

卓上に置いてあった醤油差しを夫が払い飛ばしたのは半月ほど前のことだった。
下の子の胸から聞こえるヒュウヒュウという喘鳴(ぜいめい)がなかなか消えず、そのうえいつもは元気な上の子まで気管支炎をこじらせていた。抗生物質、抗アレルギー剤、気管支拡張剤。ホクナリンテープを小さな背中に一枚貼る。一日三回薬を飲ませ、下の子にはそれにプラスして吸入をし、数日分の薬を飲みきったら再び子どもふたりを連れて小児科を受診する。そんな日々がひと月以上続いていた。連れて行くのは私の役目だ。夫は平日は仕事で遅いことが多いから、土曜くらいは休ませてあげないと。そう思うと、子どもを医者に連れて行ってくれとは言いにくい。それに、日頃家にいて子どもの様子を見ているのは私なのだから、医師と話をするのは私のほうがいい。

冬の小児科の待合室は風邪やら気管支炎やら喘息やらの子どもとその親でぎゅうぎゅう詰めで、あちこちでコンコンと小さな咳の音がする。「行ったらさらに別の病気をもらいそう」と、若い母親たちのあいだでは挨拶がわりのように愚痴がやり取りされる。それでも咳が止まらないのだから行くしかない。

その日は一時間以上順番を待って、ようやく医師に診てもらえた。私はもうへとへとになっていて、夕食のときに思わず泣きごとを言ってしまった。なんでこんなにひ弱なんだろう、よその子はすぐに治るのに。なんでうちはこうなんだろう。なんでこんなにひどいアレルギー体質の子になっちゃったんだろう。この子の友だちのママは、隣町に住んでる実家のお母さんにときどき頼れるんだよね。疲れたときはお母さんが小児科に連れて行ってくれるって。なのに私は見ず知らずの土地で、ひとりで。

夫はめそめそする女が大嫌いで、泣きごとを言うひまがあるなら解決策を考えるべきだと言う。後ろ向きな言葉はいっさい口にしない。大変そうなことが起きても自分に暗示をかけるように前向きな言葉を吐いて乗り越える。プラス思考でいれば人生はプラスの方向に向かうと信じている。だから、冬に入ってから子どもの具合が悪くてずっと暗い顔をしている私にきっと苛立っていたのだ。私が愚痴をこぼしたとたん、夫は「いいかげんにしろ」と声を荒げ、卓上の醤油差しを右手で勢いよく払った。醤油差しが隣の部屋に飛び、壁に黒い液体が飛び散った。子どもたちが泣き声を上げた。

そのあと、どう収拾がついたのだったか。
私は子どもたちを泣かせっぱなしにしたまま、その場に固まっていた。夫が雑巾をぬらして壁の汚れを拭い取っていた。
次の日には何もなかったようにいつもと同じ日常が戻っていた。

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これから子どもたちと夕飯を食べようとしていたとき、夫が玄関のドアを開けて入ってくる。シャツを着替えてから飲みに行くと言う。
「今日はだれと?」と訊くと、「田中さん」と私も知っている直属の上司の名前が出る。「仕事が一区切りついたからさ、チームで飲みに行こうって言われて」
夫は私の顔を見ずに着ていたシャツを脱ぎ、新しいものに着替えて慌ただしく靴をはく。
「行ってらっしゃい」
上の子が声をかけると夫は軽く片手を上げる。

夫が出かけて三十分ほどたったころ、ふいに私の携帯が鳴る。
憶えのない番号からの電話。
一瞬戸惑うけれど、ひとまず通話ボタンに触れて黙って待つ。
聞き慣れない声が「○○さんの奥様ですか?」と言う。
少しくぐもった、飾り気のない女の声。
「わたくし、ご主人と同じ会社の者ですが」相手は名のらない。四十代くらいの女だろうか。それにしてもなぜ私の番号を?

そのあとにつづいた言葉に私の鼓動が一気に加速する。加速した血の流れが血管をめぐって両耳まで届き、どくどくと大きな音を立てる。
「うちの会社の総務課のKさんという女性がお宅のご主人と約束したって言うんです。今夜は朝まで一緒に、ってご主人から言われたって」
三秒ほど間を置いてから言葉の意味するところを理解した私は、たたみかけるように問い返す。
どこなんでしょう、どこのお店に行ったんでしょう?
相手の言う店の名前をふるえる手で書き留める。
「あの」と相手の名前を訊こうとしたちょうどそのとき、玄関のベルが鳴り、宅急便です、とドアの外から声が聞こえる。
「すみません、少しお待ち頂けますか」私は携帯をポケットに入れて玄関に走る。
はんこを押して荷物を受け取り、すぐに携帯に耳をあてると電話はもう切れたあとだ。

教えられた店の電話番号を私は突きとめる。
が、夫を呼び出して問いただすような野暮なまねはしない。
もっと巧妙に。
動悸が嘘のように収まり、頭は冴えわたっている。

ひとまず店に電話をかける。
出るのは店員だろうが、念のためにこちらの声音は変える。
「○○という者がいると思いますので呼び出していただけますか。会社の者ですが」
しばらくして、夫が店員と話している声が近づいてくる。
だれですか?
さあ。お名前はおっしゃいませんでしたが。

「もしもし」
夫だ。
もしもし。
もう一度むこうがそう言ったところで、こちらから電話をそっと切る。
今夜はここまで。私には子どもを寝かしつける仕事が残っている。

子どもにハリー・ポッターを読み聞かせていたら、こちらまで一緒に寝てしまった。
パジャマに着替えなくてはと寝室を出たところで帰ってきたばかりの夫と鉢合わせする。
「寝落ちした」
ぼそっとそう言い、パジャマに着替え、「寝るね」と寝室に戻る。
時計を見たら十二時過ぎだ。朝までのつもりが早く切り上げたのか。
まあそんなことはどうでもいい。私は今日も一日へとへとで、一刻も早く眠りにつきたい。

下の子の喘息が出たときは夫ひとりが別の部屋で寝ている。とくに平日は睡眠不足になると仕事に差し障る。
それが週末もそのまま継続され、結局夫が隣の四畳半でひとり寝ることが常態化した。
子どもの隣にもぐり込んだ私は急速に眠りに落ちる。このまま朝なんかこなくていい。ひたすら眠っていたい。

翌朝、遅い朝食を四人で食べ始めたとき、なにごともなかったかのように訊いてみる。
「ゆうべはどうだった?」
ああ、うん。まあ、そこそこ飲んで帰ってきた。
そう。
それ以上は何も訊かない。

「あの」と夫が何かを言いかけてやめる。
え? と声に出さずに私は夫の顔を見る。
「いや、なんでもない」
「何?」
「いや、いい、おれの勘違い」
「へんなの」
そこで会話は終わる。

そういえば、Kという女に一度だけ会ったことがある。
去年のディズニーランドだ。部内で企画した家族連れのバスツアー。うちはもちろん家族四人で参加した。着いてすぐに全員で記念写真を撮ったあと、私は若い女性に挨拶をされた。
「はじめまして、Kです。いつも○○さんにお世話になっています」
細くてすらっとして、はやりのショートヘアで、目のぱっちりした美人だった。ほかの女性はだれひとり挨拶しに来ないのに、彼女だけがすたすたとこちらに向かって来た。
あの子か。

夫が飲んでくると言った日はいつも先に寝てしまい、何時に帰ってきたのかを私は知らない。だいたい十二時までに寝てしまうから、十二時半に帰ろうが五時に帰ろうが私には同じこと。目覚ましをかけている六時以前の帰宅なら私にとっては何時でも同じだ。
ほんとうに朝まで一緒にいるつもりだったのか。
朝までいるといっても、ただ飲んでカラオケにでも行くつもりだけだったのかもしれない。
本人の心の内などだれにもわかるはずがない。
むこうが私の心の中をわかるはずがないのと同じで。

「ねえ、あなたにとって夫は上司なわけ?」
そう言ったのは大学のときの友人だ。
「まるであのひとの秘書みたいだよ。そのクセ、直したほうがいいと思う」

このまま波風立てずに放っておくのがいいかもしれない。
騒いだところでどうなるわけでもない。
なんだかんだ言っても夫はゆうべ十二時過ぎには帰宅している。朝帰りしたところを、ましてやそのKという女といたところを私がつかまえたわけではないのだし。
それに、無言電話を気にかけているようにも見える。今朝、何かを訊きかけてやめたではないか。
私からの電話だったと気づいただろうか。
あれは効いたかもしれない。

同じ会社の名乗らないだれかの着信履歴。
たぶん、夫が会社に申し出ている緊急連絡先を把握できる職種の人間だろう。その人間の着信履歴というカードを私は今もっている。
このカードはしばらく大事に取っておくのがいいだろう。

小児科に通いつづけた冬が終わり、子どもたちの咳や喘鳴もようやくおさまった。公園の緑がまぶしい。一年でいちばん平穏な季節だ。

ある週末の朝、駐車スペースから夫の車を移動させようとして車のドアを開けたら、化粧ポーチが転がり落ちてくる。私のではない。私はこんな派手なポーチを買ったりしない。手に取り、そっとファスナーを開ける。リップスティックもアイシャドウもマスカラも二十代の女が買いそうなものばかり。キラキラして浮ついている。
大切にしている本にコーヒーでもこぼされたような嫌な気分になる。

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いつ、だれが、この車に。
車に置き忘れたということは飲みに行った日ではない。仕事帰りにどこに行ったの?
いや、ただ駅かどこかまで送っただけなのかも。
いろんな空想が頭の中で堂々めぐりをする。
家の中からゴミ袋をもって出てきた私は、その中にポーチを放り込む。明日は燃えるゴミの日だ。
ポーチの持ち主はKなのか、ほかの女なのか(まさか匿名電話の女?)。

いや、そもそもここにポーチがあるのはただの置き忘れか、それとも確信犯なのか。
大事なのはそこだ。

ポーチのゆくえを持ち主に問いただされた夫は、きっと間抜けな顔で車の中を探すことだろう。
これを明日ゴミに出すべきか、もう一枚のカードとして取っておくべきか。

このあとモーニングコーヒーを淹れながら、ゆっくり考えなくては。



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こんなに言葉が溢れているなかから、選んで、読んでくださってありがとうございます! 他の人たちにもおすすめしていただけると嬉しいなあ。