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ある朝目覚めたら名前がなくなっていた

一年ほど前から、大事なものをなくすようになった。

最初は腕時計だった。

それまでにも何回かなくしたことはあった。
いつどこで外したのか、いつもよく思い出せない。
朝、顔を洗うとき濡れないように取り外したのか。車に乗ったとき、手首に日焼けあとがつかないように外したのか。あるいは金具の留めかたが甘くて寝ているあいだに自然に外れてしまったのか。洗面所や車の中を探したり、ベッドキルトをパタパタはたいたりすると、3回に2回くらいは見つかった。

ではそれ以外の、能動的に探しても見つからない3回に1回くらいはどうなっていたのかといえば、どこからともなく湧き出てくるのだった。

たとえば、冷蔵庫の野菜室のキャベツの下とか。
洗濯を終えたばかりの洗濯槽の底とか。

キャベツの下はまだ良かったけれど洗濯槽はまずかった。
時計の文字盤を覆ったガラスが曇っていて、内部が湿り気を帯びていることが明らかにわかる。洗濯してしまったのだから当たり前なのだけれど。

そのときはちょうど冬だったので、こたつをつけっ放しにしてその中に丸1日入れておいたらガラスの曇りが消えた。針もちゃんと動いていた。
で、そのまま使いつづけていたら2か月ほどして針がぴたりと止まった。


町の時計屋のおじさんは、私の持ち込んだ腕時計を見るなり迷惑そうな顔をした。
小柄で色白で眼鏡をかけたおじさんは、どことなくディズニーの「白雪姫」に出てくる小人に似ていた。
「これねえ、中のムーブメントが中国製なんだよね」
精密機械が入っている部分を開けて見もしないうちから、おじさんはそう言った。

「こういうの、持ってこられても困るんだわ。部品ないもん。新しいの買ったほうが早いよ」
それでも、そこをなんとかなりませんかという顔を私がしてみせると、小人のようなおじさんは「しょうがないねえ、なんか合う部品あるかねえ」としぶしぶ作業台の前に腰かけ、ムーブメントを収めた部分の蓋をこじ開けた。
ありゃりゃ、錆びちゃってる。
「あのね、もっと高いの買いなさいよ。こういう時計、水かかったら一発でだめになるんだから」

私にとってはやや高めのを買ったつもりだった。
けれど私の常識は世間とずれていることがよくある。
左手をかざして現在時刻がわかりさえすればいいというのが腕時計の選択基準である私は、行きつけの本屋の雑貨コーナーに置いてある1980円の時計をずっと買いつづけてきた。
が、いつも1年ほどで動かなくなってしまうので、さすがにもう少し高い時計にしたほうがコストパフォーマンスがいいだろうと有名雑貨ブランドの店で7700円のやつを買ったのだった。淡いモスグリーンの細い革ベルトが2本ついた、ちょっとおしゃれな腕時計だった。

7700円なら、さすがに1年で寿命が来たりはしないだろう。
たしかに1年たっても止まりはしなかった。
けれど洗濯には耐えられなかった。
腕時計をはずすとジーンズやシャツのポケットに入れてしまう癖がある私には、防水性のある時計のほうがいいのかもしれなかった。

「生活防水じゃだめ。10気圧防水くらいのやつ」
「えっ·······そんなに必要ですか?」
「だって、あなた、洗濯しちゃうわけでしょ」
べつにうちの店で買えって言ってるわけじゃないよ。

小人のおじさんは本当に商売気のない人だった。
地方の小さな町の商店街にあるこの時計屋にお客がいるところを見たことがない。たまに電池を交換したいときに行ったりしたら、たぶんヒマなのだろう、しばらく世間話の相手をさせられる。おじさんのとりとめのない話の中には、中学校の大きな柱時計を修理したんだとか、ロレックスの修理をいつも頼みにくる人がいるんだとかいったエピソードもあったから、たぶん仕事が全然ないわけではないようだったけど、はたしてそれだけで生計が成り立っているのかどうかは謎だった。

白雪姫のスタッフだからお金に苦労しないのだろうか。

しかたがないので私は腕時計に二万数千円をはたくことにした。
我が人生で時計に二万以上を支払う日が来ようとは。
だけど10気圧ではない。10気圧のをネットで検索してみたら、ごつい時計やデザインが自分好みじゃないものしか出てこなかったので、小人おじさんの言うことはきかずに生活防水の時計を購入した。
文字盤が小ぶりなちょっと昔風の時計だ。

今度はぜったいポケットに入れないぞと誓った。二万数千円も払ったんだから洗濯機に入れるわけにはいかない。
じっさいその時計を買ってからというもの、私はきわめて注意深くなり、外すときには必ず居間のテーブルの上などの目立つ場所に置くようになった。
この歳になっても学習というのはできるものなのだ。

おしゃれな腕時計


なのに、ある日突然時計が消えた。
洗面所やトイレや車の中や洗濯槽の底を見てみたけれど、どこにも時計は見当たらなかった。あらゆる服のポケットを探っても出てこなかった。


探してるときは出てこないんよ。
子どもの頃、何かがなくなったと大騒ぎをしていると、伯母によくそう言われたものだった。
「しばらく待っててごらん。どっかから、ひょっこり出てくるよ」

「しばらく」というのは数時間のときもあれば数日のときもあったし、場合によっては一か月のこともあったけれど、なるほど伯母の言うとおり、消えたものは待っていればだいたい出てきたのだった。

けれど二万数千円の腕時計はいくら待っても出てこなかった。


そうこうするうち、こんどはサングラスが消えた。
これもまた私にしては奮発して買った一万数千円のUVサングラスだった。

目をたくさん使う仕事をしているので目は大事にしなくてはいけない。
最近目がしょぼしょぼして疲れることが多くなったので、外出のときには紫外線と青色光線をカットするとかいうサングラスをかけることにした。
若い頃から肌にはせっせとUVケアをしてきたくせに目にはまったく無頓着だったから、とうとうへこたれてきたんだろうか。

あるとき、15歳年上の友人と電話でしゃべっていたら目の話になった。
そのひとはブドウ膜とかいう聞いたこともない目の膜を悪くして、字が読みづらくなったとぼやいていた。
「紫外線が原因なんだって」
歳取るとね、弱いところの機能が一気に落ちるから、あなたも気をつけなくちゃだめよ。


私の弱いとこってどこだろう。
歯とか、目とか、頭とか。
いくつか思い当たるところはあるから、いまからでも遅くない、少しずつ対策を取らなくては。
そう思って買ったUVサングラスだったのに、これもまた待てど暮らせど出てこない。

やがて私はもっと大切なものをなくしてしまった。
時計やサングラスどころの話ではない、なくすと生活そのものが回らなくなるような大切なものを。

自分の名前をなくしてしまったのだ。

いつどこでなくしたのか、まるで心当たりがない。
シュレッダーにかけて燃えるゴミに出したわけでもなければ、名前を担保にお金を借りたわけでもない。
が、ある朝起きると私の名前がなくなっていた。


名前をなくすと何が困るのか。
そもそも、自分の名を名乗ることができなくなる。
初対面の人に会っても自己紹介ができない。何かの書類に自分の名前を書かねばならないときにも、なんて書けばいいのだろうと考え込んでしまう。
そのときそばに家族がいれば、「ねえ私の名前って何?」と訊けば教えてもらえるけれど、いつもそばにいるとは限らない。教えてもらった自分の名前を暗記しておけば済む話だと思われるかもしれないが、紛失した名前を暗記しておくこともまた至難の技だということを、なくしてみて初めて知った。

そのうち、家族も私の名前を思い出せなくなってきた。
最初は顔をみれば○子だとすぐに思い出せていたのが、しだいに「ええっと、○子?」と記憶が少しあやふやになってきて、しまいには「あれ、なんて名前だったっけ?」と言われるようになってしまった。

なくした名前というのはどうやら周囲のひとの記憶からも霧消するものであるらしかった。

それでも私は望みを捨てなかった。
ごく近くにいる家族はしかたがないとしても、世間一般の人は憶えていてくれるのではないか。スーパーで出会ったとき、「○○さん」と声をかけてくれるのではないか。そうすれば、そのたびに自分の名前を拾ってショッピングバッグに入れておけばいい。それでなんとか残りの人生やっていけるんじゃないだろうか。

それに郵便物。遠方の人びとが私宛てに出した郵便物には私の名前が書かれているわけだから、その封筒なり葉書なりを大事に保管しておけばなんとか暮らしていけるだろう。

しかし、スーパーや道端で出会った世間の人たちは、私の名前を呼ばずに挨拶をしてくる。
「こんにちは」「あら、久しぶり」「元気?」
会話というのは相手の名を口にせずともどうにか成立するものなのだ。

郵便物も来なくなった。
家族には届くのに、私宛てには届かなくなった。

私は名前を失ったまま途方に暮れた。

しかし、やがて私は、名前をなくすのが何も悪いことばかりではないことに気づいた。
携帯電話料金や税金の請求が来なくなったのだ。
「名前をどこかに落っことしてくれば税金払わなくてすむよ」と私は不埒なことを親友に教えたくなる衝動にかられた。

が、それより何より良かったのは人間関係がやや丸みをおびてきたことだった。
だれかが私の噂話をするとき、私をけなせなくなってしまったからだ。
人をけなすとき、私たちはたいてい相手の名前を明示するものだ。
名前を知らない人間のことも、けなせなくはないけれど、相手の固有名詞が明確になっているほうが悪口に勢いがつくし、悪口を言う側も全能感をおぼえるというものだ。
けれど相手に名前がないと対象の焦点がぼやけるから、悪口もエッジを欠いたものになる。

おかげで私は焦点のぼやけた感想を抱かれはしても、鋭い批判の対象にはならなくなった。
世間の常識から外れていなくもない言動をとりがちな私にとって、これはありがたかった。
人生が以前よりもまるく、穏やかになった。
このまま名無しで人生を終えてもいいかなと思うようになった。

そうこうするうち私は、私よりもずっと深刻な紛失体験をしている人たちに出会った。

たとえば時間をなくした人。
時間をなくすと、とにかく多忙になる。
それまでよりも少なくなった時間の範囲内で、それまでと同じ分量の仕事なり遊びなり子育てなりをしなくてはならないからだ。
「いったい、どこに置き忘れてきたんだろうな」
時間を紛失した人は当惑顔でつぶやく。
「先月まではたしかにあったのに。気がつくとなくなってたんだ。いつどこで、なぜなくしたのかもわからない。もしかしたらだれかに盗まれたのかな?」
盗まれる、ってだれに?
そう訊くと、その人は口をつぐむ。
心当たりがあるのだろうか。

砂時計2

聞く力を失った人もいた。
聴力はあるのだ。音じたいは聞こえている。けれど人の話す言葉を体内に吸収する力をなくしてしまったので、だれかと一緒に遊ぶときのように、キャッチボールをするみたいに、言葉を投げて、受けて、投げ返して、ということができない。
だから自分のしゃべりたいことだけをしゃべっている。
問答が他者とのあいだでなされず、自分ひとりの中で完結している。
その人のしゃべる言葉は断定調なのだけど、目はどことなく虚ろで瞳の色が薄ぼんやりとしている。
目の前にいる人と視線を合わさずに、どこにもいない人に向けて、はっきりしないどこかを見つめて言葉を排出している。
まるでひとり遊びをするように。


大事なものをなくした人たちがこんなにいるなんて、いったい世界はどうなってしまったのだろう?

暑い夏の昼下がり、灼けつくアスファルトの上でのたうつミミズを見つめながら、私はまたしても途方に暮れた。

蝶に会ったのは8月の早朝だった。
熱帯夜で眠りの浅かった私は、まだ熱をおびていない庭に出ていた。
頭がうまく働かないときは体をただ機械的に動かす作業をしてみるといい。そう思って、伸びるにまかせていた草をむしることにしたのだ。
何も考えずにただ体を動かすうちに何かが動きだす。とくに土に触れているときの私はそうなることが多い。

長いイネ科の草をせっせと引いたあと、背伸びがしたくなってふいに立ち上がったとき、そばのモミジの木に腕が触れて枝が揺れた。
と思ったら、茂みから蝶が舞い出てきた。

蝶はふわふわと、とりとめのない軌跡を描きながら舞っていたかと思うと、またモミジの枝に止まり、しばらくのあいだ深呼吸のようなペースで翅(はね)を開いたり閉じたりしていた。
オレンジ色に黒い斑点の翅。

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「拾っておいたから」
え?
あなたの時計。


蝶がしゃべった。
聞き覚えのある声だった。
いまの私よりもずっと若いときに病気で亡くなった伯母の声だった。

ああそうか、帰ってきたんだね。
その日は迎え盆だった。
「どこで見つけたの?」
蝶は葉陰で翅をぴたりと合わせたままでいる。
そういえば伯母は、こういう色のインド更紗で仕立てたワンピースをよく着ていた。

私がそっと手を伸ばしかけると、蝶はそれをかわすようにひらりと舞い上がり、しばらく私の頭上でふわふわ舞っていたかと思うと、どこかに飛んでいった。


なくした時計を芝生の中に見つけたのはその日だった。
針はちゃんと時を刻みつづけていた。

そのとき以来、時間や聞く力をなくした人たちには出会うことはなくなった。

紛失していた私の名前は秋が始まる頃に戻ってきた。
ある朝、玄関の扉を開けたら、私の名前をくわえたベージュ色の縞模様の子猫がこちらを見上げていた。
その猫は私の足元をするりと通り抜けて家にあがると、私の名前をそっと廊下に置いた。

猫はいま、伯母の名前をつけられ、私の家で暮らしている。



居眠り猫





こんなに言葉が溢れているなかから、選んで、読んでくださってありがとうございます! 他の人たちにもおすすめしていただけると嬉しいなあ。