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好きな人のタイプ

あまりに眠い。
このまま冬眠したい。
というテンションの寝言のようなものです。

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もう半生ずっと好きな人のタイプを「(自分より)頭の良い人」と言っている。
コレ「理想高すぎるよ!」ってよく笑われてきた。
別に私がすっごい頭がいいわけではないので「理想が高い」の意味がわからない人は好きなタイプには入りません。さようなら。笑
これは当然ながら「偏差値の高い大学を出ている」とか「勉強ができた」とか「昔、神童と呼ばれて」とかそういうのではない。

結局「自分で決められる人」なのだと思う。

それは「考えるチカラ」「選べるチカラ」「捨てるチカラ」みたいなものが「正しく備わっている」ということ。
そしてそれに「行動」が伴っていること。

考えても最終的に行動しないなら、その「考え」は消えてくんだと思っている。
だから「考える」っていうのは、行動してようやく完成。

環境やルールや戦略、人の心や信念。
感性と論理的思考がしっかり結びついて「理解」できること。
自分と違うことがあったら、それを「選んで」違っていても許容できるなら気にしなきゃいいし、許容できないならその部分を「捨てる」受け入れられなくても認める。

強い協調を求めると、共生はできなくなるんだよね。
それをお互い自分にとって心地いいことを選んで、一緒にいられるような
友達も恋人もそういう人がいい。

考えないで人に聞いてばかりのよく言う「指示待ち人間」は
「ホモ・サピエンス」名乗るのやめてよと思うくらい。笑
サピエンスって賢人なのよ。
つまり「考える」ってことが「ヒト」という種族の本質だと思う。
「考える葦」とも言うし。

AIに仕事奪われるとか言うけど、AIって「感じる」「考える」「生み出す」ができない。
赤を赤として処理はできるけど、それはRGBの数値とかで読み取るわけで、人が「赤は元気が出る」とか「赤は目立つ」とか「感じる」のとは別なのです。
データがあれば処理できるけど、データを考えて生み出すことはできないわけ。
だからね、ちゃんと「ホモ・サピエンス」の本質「考える」をしてる人はAIに負けることまぁまぁ先の話だと思うよ。

すごいすごい「人間が嫌い」だと思って生きてきたけど
よくよく観察して考えてみれば「人間なのにヒトの本質からズレてる」から嫌いなのかもしれない。
やっぱり「頭の良い人」はすごく好き。

「必死になること」
「覚悟を決めること」
「信念を守り切ること」
「全力を注ぐこと」
一度もやりきったことがないと「自分で決めきる」って感覚がわからない。
一切の言い訳もきかない、人のせいにもしない、自分の足と頭でやりきる。
それはすべて「考えるチカラ」「選べるチカラ」「捨てるチカラ」の集合させないとできないんだろうな…と思う。

本気で「クリエイト」してる人は、毎度作品にそれを使ってるわけだから、やっぱりクリエイターはすごいよね。
「考えない」クリエイターなんていないじゃない。もしいたら、そんな人むしろクリエイターじゃないし…

ちょっとでも「やってみる」とか「始めてみる」みたいなのって
実は「自分で決めきる」ってことをやってこなかったら、ものすごいハードル高いのかもしれない。
今年はいろんな場面で「思考停止」とか「人に答えを求める」とか多く見て、
そういう人にとっては「ちょっと始めてみよ」みたいなのとかできなくて
よく「いいなぁ」と羨ましがっていたりする。
面倒すぎて最近はそういう友達バッサリさよならすることにした。

良いと思うならやってみれば?って言っちゃうし
言い訳する原因を本当に取り除ける努力したのかと思うし
簡単に無理っていうくらいなら大してやりたい事でもないんだろ…みたいな
だったらちょっとは考えろよ…に行き着く。

自分自身のやりたいことにすら全力を注げない人に使う時間が勿体ない。
自分の自由には責任が伴うよ。
その自分が自分でいるための責任すら負えない人を、私は友達に置いておけるほど余裕ないし、私がリスクマネジメントできないわけでもない。

生きる場所も生きる手段も
誰の何を守るかも
そのために自分の何を捨てるか、相手の何を求めないか
そういうの全部自分の責任にして
色んな情報に触れ、感性に触れ
色んなことを考え、結論を出し
自分のためのものを選んで=捨てる勇気があって
すべてを行動に移している人。

それを「頭の良い人」って呼んでいます。

意外といないんだよ。
仲良い友達にはいるけどね。それで十分かなぁ。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。