見出し画像

間違いじゃなくってさ

好きな曲にこんなフレーズがある。

間違いは間違いじゃなくってさ バランスとタイミング
               ーsleepy.ab「メロディ」

最近とても、この「間違い」の感覚を持つことが多い、と私は感じている。

マスク2枚。
発表された時にも相当言われていたけれど、発表直後に届いていたらここまで冷めた反応にはならなかっただろうなとも思う。
まだいつでもどこでも自由に手に入るというわけではないけれど、ちゃんとアンテナを張っていればそこそこ都内でもマスクも買えるようになってきた。
私は不織布でアレルギーを起こすので、布製マスクを使っているのだけれど
久しぶり(たぶん2ヶ月ぶり)に、昨日電車に乗ったら「え、布?」みたいな顔をされた。(その反応は毎年の花粉症で慣れている)

ハッカーは正しいことを雑にやり、スーツは間違ったことを綿密にやる

そんなふうに表現されるけれど、雑にやってでも「機を逸しない」ことが「正しい」ということなのだろうな…と今は思う。
つまり「間違いは間違いじゃなくてタイミング」だったってことだ。

「バランス」についてもそうだなって思う。
安心するために、どうしても正解/不正解で区切ってしまいそうになるんだけど
正誤がどうかという問題よりも「バランス」が崩れてしまっていることが多いように感じている。

その筆頭が「自粛警察」なのだと思う。

営業しているお店の妨害が法的に間違っているかどうかだけじゃなくて
「他人に求めること」と「自分のできること」のバランスが崩れているのだと思っている。

そのバランスの崩し方は検察庁法改正案の一件を見てもそうだと思った。
改正案自体の問題がどうのこうのという話でもなければ
事実とは異なる主張が拡散してしまったことを話題にあげたいのでもない。
しっかりと判断し読み込まれた意見や実際の法案を理解しているかの疑問、
本来は有用となる主張や意見ですら、他人を攻撃する口調で展開されていた。
そこに【バランスの崩れ】を感じてしまい
とても気持ちが悪かった。

岡村隆史さんの一件もそう。
発言自体が当事者から非難があっても然るべきでも、長引くほどにバランスの崩れた非難や意見を見せつけられているように感じた。

たとえその意見が正しくても、怒気だったり不快感だったりを言葉に乗せて発信すると、バランスの崩れたものになってしまう。
非難し続けることが、正しいことを生むわけでもない。

正しいことを主張すればどんな言い方であっても良いのではないし
間違ったことは絶対何があっても主張してはいけないのでもない。

やはりそこはバランス次第。
そして主張の仕方次第で、間違いじゃなくても「間違い」に見えてしまうんじゃないか…と思った。

「自粛」

いやになるほど繰り返されているけど、これって究極な「利他」じゃないすか。
症状が出ないまま感染させる以上、感染させない行動が感染拡大を抑えるから。

自分の手元のお金がジリジリと減っても仕事をせずに、感染しないためにというよりは「感染させないために」家にいる。STAY HOME。
マスクも自分が感染するリスクは減らなくても、感染させるリスクが減るもの。
お店の休業も、興行中止も、STAY HOMEも、あれもこれもそれも…
果ては国際協調って叫ばれていることすら「利他」なんですよね…

ああ、主語が大きくなってしまった。
私が会いたい大好きな人に会わないのも、その大好きな人のためだし
推しのライブも舞台もなくなっても私が大丈夫なのは推しの安全のため。
自分が感染するかはさておき、「利他」の気持ちが行動を支えているように思う。

色んな立場で「誰かのため」を考えることで、ウイルスの感染拡大が抑えられる…
人と生きるために人に会わずにいることで、理性のある人間であろうとする…
ものすごい究極のチャレンジを突きつけられているように思っている。

人間が理性的な動物だなんていうなら、これができるだろう?みたいな。

でもそれを「我慢」って思い始めると、途端に窮屈になってくる。
我慢しないんじゃなくて、我慢ではない形で受け入れるような感じがいいのかな。
言うは易し、行うは難し。
私は、推しが「安心して楽しめる方が楽しい」っていうようなことを言って
ああそうだなって待つことにしたら、あんまり苦痛じゃなくなった。
腹落ち、納得、諦め…なんだろう。

やっぱりバランスなんだと思う。
「誰かのために自分が我慢する」っていうのは自分が消えていくことでもあって
突き詰めるとアイデンティティクライシスに近いところまで行っちゃう気がする。

好きな曲にこんなフレーズもある。

あなたを守る為なら 全てを犠牲に出来ると思った
ああ なんて浅ましい思い込みだ
あなたが願いを一つ言う度 自分が死んでいくような気がした
水と油を必死で混ぜようとしたんだ
               CIVILIAN「I」 feat.まねきケチャ

人のための我慢になりすぎると、やっぱり自分は保てないし
外と比べてしまうと、どうして人のためを思えないんだって責めてしまう。
外と比べて、この程度で辛いなんて言ったらダメと崩れてしまうこともある。

人のために生きて、かつ、自分のあり方を保つ…究極のバランス
そんなものが求められてるような感覚がずっとある。

利他でありながら、わがままでもいる…みたいな理想を私はずっと模索している。

そんなの出来る人、そうそういない。
いないからストレスフルだし、バランスが崩れた話が多いんだろうなと思う。

すくなくとも今、私が大事に思ってるのは
常識がガンガン変化して、昨日の正解は今日は間違いになるっていうような波の中で「タイミング」をちゃんと見ておくことと
声を上げる前に自分の中の「バランス」を整えておくこと。

そしてなにより「間違い」だったとしても、それを責めるよりもどんどん間違えても良いってなれたら良いなぁって思っている。
間違えてもいいから、どんどん進むしか今はない。

考えることは間違いかどうかじゃない
自分がどう「利他」であって、どう「わがまま」であるかなんだと思っている。


++++

冒頭の楽曲
sleepy.ab メロディ


途中紹介の楽曲
CIVILIAN I feat.まねきケチャ

まさにこの「あなたのため」と「I(自分)だけを見ていた」という対比…

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。