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運慶展に行ってきました

また放置してしまった。お久しぶりです。
東京国立博物館で開催されている「運慶展」に行きました。

金曜と土曜は21時まで開館してくれているのでそれを狙って。
激混みでぜんぜん見れないってほどではないけれど
ぐいぐいおばちゃんに押されたりオッサンに突き飛ばされながら
くらいには混んでいました。

運慶は鎌倉初期の仏師で、主に東国で活躍した。という基礎知識はあって
というのも大学の専攻が鎌倉文学だったもんで。
印象だけなので違うかもしれないけれど
文学的な文化はより朝廷で華ひらいており
東国(つまり幕府)では美術的なものに傾いていたように思う。

運慶は1175年デビューということでかなり乱世を生きた人だったのだろう。
方丈記に書かれる通り、1177年の安元の大火から京では次々と災厄が続き
道で生き倒れる人の山だった、という。
1177年から1185年に続く京での災厄、
1181年の南都焼討からの1185年の平家滅亡、そういったものから時代的にも
世間も源氏も「仏教」というものに厚い信仰があったと思われる。

単純な彫刻家という側面だけでなく、そういった時代的な仏教のあり方も
彼を支えた一面なのではないかなぁと思いつつ展示を見ていました。
展示自体はそういった時代背景は描かず、作品的な系譜、歴史をたどる形。
前時代からどういう影響を受け、後の時代へ何が受け継がれていたか。

「人々は自分が生きる世の中に仏は存在すると信じたかった」
というような音声ガイドの説明があった。
たしかに前時代と比較して見れば、
今にも動きそうな、どこかにいそうな存在感を、
運慶の作品にはたくさん感じた。
と同時に如来様、菩薩様の人智を超えた存在であることの
ある種不気味なまでの神々しさというのも迫力があった。

彼の表現としての探求はリアリティとそれを踏まえた神性だと思った。
人々が仏の存在を支えにし、リアルな存在として感じたいという時代に
その表現のあり方はひどく求められたことは想像に容易かった。

もちろん卓越した才能とそれを支えた観察眼と勤勉さも感じました。

ほんっとーにこの時代、世の中天才だらけだな!
と思うほどに鎌倉時代初期の人物にはなぜか心酔してしまう。
天才的作品を遺しつつ、作品点数自体は少なく、
まだ彼の作品かどうかわからないものがたくさんあるなんて。

作品1点に対する情報量が多くて、全部しっかり3時間半もかかったよ。

はぁ〜よかった。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。