年始早々、ロックンロール
あけましておめでとうございます。
今年も何卒よろしくお願いします。
ヘッダーだけ新年よろしくウサギにしましたが、まったく新年関係ないnoteです。
12月に発売されて以来、他のアルバムが聴けないほどの良いアルバムに出会ってしまった。
町田直隆「不良の音楽」
サブスクは上のリンクからどうぞ。
町田直隆さん、ちょこちょことライブにお邪魔していて、今やっているmoke(s)というバンドは結構な頻度で通っていた。
音楽活動25周年。11年ぶりの全国流通盤。アルバム制作期間3年。
期間だけ並べてみても相当力のこもったアルバムであることは間違いない。
町田さんという方は(と私が語るにはおこがましいのだが)とにかく「多作」な方だと私は思っている。
ライブに行くと「昨日できた新曲です」と毎回言ってるんじゃないか、と。
ファンの方が「全部覚えてられない」と嘆いていたのを聞いたことがある。
そんな町田さんなので25年間という期間には、たぶん想像を絶するくらいの曲数の音楽が生まれているのではないか…と思う。
その想像を絶する数の中から選びに選び抜かれた11曲が名曲でないはずがない。
ちょこちょことしか行ってない私でも全曲ライブで聴いてきた曲たち。
町田さんの作った名曲中の名曲が集められたのだと確信できた。
そう、新譜を買った時に(あまりない経験だけど)全曲知ってる曲だったのだ。
知ってる曲でどんな曲か知っているのに…
アルバムから流れていた曲たちはものすごく新鮮で、知らない曲のようだった。
初めて聴き終えた時、その余韻にリピートすることもできず
他の音が聞こえることすら拒みたくなるほど感動に震えた。
何度聞き直しても3回は感動で涙がこぼれてしまう。
ライブで聞いてきたものと少しの歌い方の違いだったり表現の違いであったり
無駄なく整理されてちゃんと伝わってくることであったりする「だけ」なのに
その積み重ねがずんずんと心に迫ってくる。
名曲中の名曲を、素晴らしい表現で収めた、本当にとんでもないアルバムなのだ。
何度も聴いているうちにひとつだけ思ったことがある。
「孤独」について、だ。
【人間というのは社会を形成することで種の保存をはかっている生物】
という説を私は思想の結構中心ちかくに置いている。
それは「社会参加することが生きる寄与」であるような思想でもある。
加えて、街並みというのは結構残酷で、やれクリスマスだお正月だというのは
「孤独」を許さないところがある。
誰かといること、家族に囲まれていること、そういうことが「当然」のようになってくる。
「クリぼっち」という非難や卑下する言葉すらあるくらいだ。
「孤独」は「よろしいものではない」という圧力が、いろんなとこからかけられているように思う。
だけど私は壊滅的に人付き合いが苦手だ。
ひとりでいたくない…と思っても、人から距離を置かないとメンタルに影響が出てしまう。
かといって、ひとりでいるのも当然にさみしいと思う。
「孤独」はそれ自身だけでも心を蝕むものかもしれないが
自分からも外の雰囲気からも「よろしくないこと」として責められていることでよりツラさを増しているように思う。
サカナクションの山口氏が母に言われた言葉として「孤独ではなく孤高であれ」というのを紹介していた。
が、それにしたって心を強くするには限界がある。
ロックンロールは「孤独」をなくすことはしない。
どんなに聴いてもどんなに心酔しても、ずっとひとりなのは変わらない。
どんなに「この会場にいるみんなひとつになろうぜ」と言っても無理だし
音楽を聴いている時に誰かとの一体感など必要なく、むしろ音楽と自分だけであるような錯覚がある。
そう、
音楽と自分だけになれるのが私にとってのロックンロールなのかもしれない。
もっと言うと、ロックンロールには「孤独」でいることが許されているのだ。
町田直隆さんのアルバム、表題曲の「不良の音楽」はまさにそのことを歌っているのではないか?と思った。
私にとってロックンロールがこの曲に詰まっているように思った。
だから聴いてほしいのだとおもう。
孤独ではなくなることはなくても、孤独でいることが苦しくて仕方ない人に。
ロックンロールを。
この町田直隆という人が作り上げたロックンロールを。
ここに「孤独」を「それでいいよ」と受け止めてくれる場所がある。
MusicVideoが公開されたので追加しておきます。
でもやっぱりアルバムを通して紡いできた物語の先に、この曲があった方が一層、いっそう伝わるものがあると思うので、ぜひアルバムも。(1月4日更新)
読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。