ニューヨークのニューラジオ感想と、私が思うニューヨークの魅力:「2年生の立ち位置」

敗者感漂う入り口からのニューラジオを見ました。
審査員の方がどうお考えかわからないですが、4番手以降は「決勝に進めるかどうかと、通過者がどの順位か」がポイントだと思っており、4位も10位も何かに差があるとは思わないんですけどね。
特に今年は全体的にレベルが高かったので、「最下位」と思う必要はないと思うのですが、
優勝を本気で狙っていたからこそ悔しいよな、と。
怒りのぶつけどころのないお二人は、それこそ彼ららしさがあふれており、1ファンとしては穏やかな目で見てしまうのですが。
それこそ結婚式さながらに、準備の一つ一つを丁寧に楽しんでいたんだろうな、というのが感じられました。
弾着に負けずに、と柱を倒した、とは思いませんでしたがw

先日の記事で、今年のキングオブコントで求められていたのはは「愛」だった、に近い内容を書きました。
根本的に意地悪で(誉め言葉)、世の中を斜めに見ている(誉め言葉)ニューヨークが大好きなのですが、「ストレートに愛を伝える」ことは苦手な二人なんだろうな、と思っています。どうしても感情より頭が先に動く。
(「私のこと好き?」っていう女の子のことを面倒って思いつつ、二人とも「好きって言えばいいんでしょ」と思いながら「好きだよ」って言いそう。でもそう思っているところは透けて見えてる、みたいな)
一方で、彼らのコントでも漫才でも見える、人に対してのまなざしの深さ(暖かさとか鋭さではなく、あえて「深さ」)は、間違いなく愛情をベースにしたものだし、彼らは世の中のあらゆるものを馬鹿にしているように見えてそれはあくまでも馬鹿にしている「風」でしかない。
ちゃんと見て、茶化し方すらも計算して、自分の立ち位置がここであるのが受けるよね、と思っている感じ。
若いうちから「次世代エース」と言われたからか。計算をできてしまう。
そういう観点で、私はニューヨークを寺田心君みたいに見ていてw
「こうすればいいんでしょ」って思いながら動いていることそのものを、「したたかな風を装ってるなぁ」と思いながら見るのが自分的には正しく楽しい見方だと思っている。
屋敷さん・嶋佐さんより年上だから、の感覚かもしれないですね。
3年生が1年生を見る感覚に近い。2年生にもなってそれだと痛いぞ、と思いつつ、かわいくてたまらない。
それでいうと、エレパレの時の彼らより(エレパレは大好きです)、ダイタクといる時の彼らの素っぽさが好き。

そう考えると、彼らのこの1年はきっと本人たちが思う以上に大きな変化だったんだろうと思うんです。
この1年、ニューヨークは確実に立ち位置を変えました。
その結果、2019年のM-1では大絶賛されて「陰の功労者」とも言われたニューヨークが、今回の松本さんへのたて付きにはネガティブな声も多い。。(確かに2019M-1はあのタイミングのあの知名度のニューヨークだからこそのものがあった)
1年生の立ち位置ではなくなってしまった。
きっと彼ら的には去年と大きく変えていないのに結果が大きく違ってしまった。
だから彼らはどうしていいかわからず、途方に暮れているようだった。
彼らが思う以上に、彼らの見え方が変わってしまったんだと思う。
そんな彼らの「愛があるからこそ計算しつくすことができるんだけどな」という感じは、今後、どう表現すればいいんでしょうね。。
無限大ではすでにお兄さん的立ち位置で、(本人たちもきっと兄貴風吹かせるのも好きで)、そんな彼らだからこそ見せられる彼らならではの世界もあるんだけれど、でも世の中的には「3年生」とまでは見られていない、という中途半端さがあったのかな、と勝手に思っているのですが。。
いきなり大人になる必要はないし、われわれ、2年生が粋がりつつ世の中をくさしてるのも、それはそれできっと大好きだと思うんだけどな。

ぜひ、来年もチャレンジしてほしいです。
彼らが立ち位置を気にせず楽しめるといいけれど、きっと彼らは「こうすれば面白いんでしょ」「こうすれば受けるんでしょ」を計算しちゃうと思うので。「計算しているのもわかっていながら面白い」になるといいなぁ。来年のニューヨークにしかできないコントが、絶対あると思うし、それを見たいです。


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