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【オペラ日記 7】Kバレエ「眠れる森の美女」でオペラについて考える

UnsplashNihal Demirci Erenayが撮影した写真

ウェブ雑誌「ミモレ」でブロガーをしている小黒悠さんを始め、バレエ好きのお友だちに誘われて、K-BALLET TOKYO(Kバレエ)の「眠れる森の美女」を観てきました。東京、大阪、福岡の全15回全て完売の大人気公演です。


大昔のクリスマスに「くるみ割り人形」を観たことはあったけれど、記憶がほとんどなく、それ以降はガラ公演やオペラのバレエシーンを観る位で、バレエの全幕を観るのはほぼ初めてでした。

「眠りの森の美女」舞台写真(K-Ballet Tokyo Instagramより)

オペラもバレエも両方同じくらい観る人たちもいるのでしょうが、私は完全にオペラに比重があるので、バレエに関してはオペラ以上に素人で初心者です。

オペラもバレエも、指揮者がいてオーケストラ演奏があって、舞台装置や衣装がきらびやか、という点は共通で、オペラ劇場付きバレエ団があるように、会場も同じようなところを使います。似ているようですが、オペラファンがバレエ鑑賞をすると結構まごつくことがあります。


まず、公演中、技が決まったり見せ場が終わったりすると(という表現でよいでしょうか)、拍手が起こること。オペラでは基本、音が鳴っている間は拍手はなしです(オペラの独唱曲の際に、最近フライング拍手が多いということはとりあえず置いておきましょう。本来は歌だけでなくオーケストラの後奏も終わって、指揮者の手が止まってからだと思っています)。バレエでは音楽より踊りが優先、ということですよね。拍手は音が止まるまでしない、といつも思っているので、癖が抜けませんでした。

今回、Kバレエの熊川哲也芸術監督は、「眠りの森の美女」を古典とは違ったストーリー構成にして、チャイコフスキーの音楽も大胆にカットしているとのことでした。各配役の設定や登場場面の変更も多々ありました。

これもオペラファンとしてはびっくりで、オペラの場合は全編に楽譜があって、歌詞も決まっているので、オリジナル時代背景や場所を変えることはよくありますが、ストーリー自体を大幅に変えることには限度があります。

オペラも演目により、繰り返しや、時間の都合上ストーリーの大枠に支障がない部分を省略したりする、慣習的なカットというのはあるのですが、最近は作曲者の意図を大事にして、あくまでも楽譜通りというのが主流になりつつあります。

オペラ作曲者自身が同じ演目の改定をして、版がいくつか残っている場合はあります。しかし、バレエの場合は熊川版に限らず、作曲者でない人が、台本と振付を通じて、音楽もかなり大胆に調整する印象です。そもそも、既存の曲をバレエに転用することも多いですし、踊りに合わせて、音楽を調整して、公演を作っていく世界なのですね。

「眠れる森の美女」を作曲したチャイコフスキーには、「エフネギー・オネーギン」というオペラがありますが、バレエの「オネーギン」もオペラと同じ曲を使っているのかと思ったら、チャイコフスキーの別の楽曲を組み合わせてバレエに転用していることを知り、驚きました。1965年の初演の頃には、オペラの音楽をバレエに転用することに、劇場の許可が下りなかったそうです。

熊川オリジナルバレエ作品の中には、「蝶々夫人」とか「カルメン」とか、オペラがもとになっている演目もありますが、オペラファンには歌がないのはどうしても寂しく感じられてしまいます。歌詞が頭で鳴ってしまうのに、舞台に歌がないことに慣れるのに時間が必要そうです。

オペラファンとして、オペラとバレエを比べて思ったことをつらつらと書いてみましたが、Kバレエの「眠れる森の美女」の公演は、そんなことは正直どうでもよいほど、評判通り素晴らしいものでした。舞台美術や衣装は世界で活躍する方々による手によるもので、日本離れしたまさにおとぎ話のような色彩や質感でしたし、ダンサーさんたちのソロやペア、数人の組み合わせ、群舞で、それぞれの見せ場があるところは、オペラと同じ。登場しただけで空気が変わる、しなやかな身体が美しい日髙世菜さんの悪役カラボス、どこまでも繊細で守ってあげたくなる飯島望未さんのオーロラ姫。他にもそれぞれの魅力的を持ったダンサーさんたちの個性が合わさって、目の前に作り出されたきらびやかな夢の世界に、しばし没頭することができました。

次回はオペラのことはごちゃごちゃ考えず😆、純粋な心もちで、またバレエを観てみたいです。

ではでは、また!

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