きっとはじまらず、おわらず、つながれないものたちに告げる、わたしはスキを諦めない

「きっと何者にもなれないおまえたちに告げる」から始まる長く苦しい死闘が『さらざんまい』の軽妙で終えた観があるので言祝ぎたい。

『さらざんまい』、最高にかっこよかったですが、絵面はマジでどうしようもなく最悪で(真顔)、それでもかっこよかったのですごいって思いました。

 本当に、どうにかならんかったのか、絵面。カタルシスの本来の意味は「排泄の悦楽」なので、それはそうなんだけど、本当に、どうにかならんかったんか。でもかっこいい。

「スキかキスか。どちらかを選べば、他を選べない」は『ユリ熊嵐』のテーゼでしたね。『さらざんまい』では「欲望か愛か。どちらかを選べば、他を選べない」と変奏されます。

 うん、なんもわからん。それは同じものなのでは?

『輪るピングドラム』の、こどもブロイラーのあまりに清潔な、それ故の異常なグロテスクはここにも見られます。そして、あの美しい蠍の炎は『さらざんまい』では「そんなダセぇことすんな。俺はお前との未来を諦めていないぞ」と否定されます。

「欲望をつなぐものだけが未来を手にすることが出来る」というテーゼは、まず、一度失敗してしまった大人から発せられます。そして二度失敗し、最後に少年たちの道を照らします。Savatageを引きましょう(Savatageでなければならない日もあります)。

I am the way
I am the light
I am the dark inside the night
I hear your hopes
I feel your dreams
And in the dark
I hear your screams

 元々抽象寄りの作風だったのが、ここ三作では記号の域まで荒々しく展開されており、少年たちが挑まなければならないのは「概念」そのものです。

 読み筋はあるのですよ。例えばサリン事件も、あれは疎隔された孤独で惨めな魂が概念に取り憑かれ、殺人を正当化してゆく過程と捉えれば、討つべきは概念それ自体ということになります。

 どうしても蠱惑的なんですよ、概念ってやつは。無時間的で、裏切らないので(はじまらない、おわらない、つながらない)。己を、民衆を、世界を、一挙に取り戻せるんです、概念においては。

 一度は疎隔され、つながりの中で散々に引き裂かれ、それでも仲間のために奮迅し、「もう疲れた」という少年の絶望の最中を共に戦うカタルシスの奔流、そしてそこで具象にグッと寄せる力強さと誠実(その少年は刑務を課されます)。

 命が消えようとしているように感じられるこの国の今、一つの痛快なアンサーであると思います。そして恐らく、唯一のアンサーではないのです。「欲望をつなげるものだけが未来を掴むのでぃっしゅ」と姫は告げておられます。どんなに苦しかろうと、手を離しては駄目なのです。決して、決して。

はじめからおわりまで、まあるいえんでつながってるよ

なんかくれ 文明とか https://www.amazon.jp/gp/registry/wishlist/Z4F2O05F23WJ