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終戦記念日に思う

今日は終戦記念日。
3年前にテレビ番組を見て感じた自らの発信を読み直しながら、自分自身に問い直す。
『この3年間、いったい何ができたのか?』
『会社は、社会は、世界は、良くなっているのか?』

===3年前の発信===

特攻隊、人間魚雷・・・。
非人道的かどうかという問題以前に、こんなことを「作戦」と称して正当化していた軍部。
もはやそれだけ追い詰められていた証左でもあるのだが、平和な今だからこそ「おかしい」と言えるのであって、当時「おかしい」なんて言ってしまえば、権力者や権力者の威を借りた人間たちが、その発言者を徹底的に吊るし上げ、「おかしいなんて思っているオマエこそおかしい」、「こんな人間をつくった家族も同罪だ」・・・とばかりに糾弾される、そんな雰囲気だったろうことは容易に想像がつく。

結局は、敗戦必至の戦況に陥ってもなお自己正当化したいという権力者の「弱さ」なんだろうけど、こういうことって昨今明るみになっている様々な企業の不正事件や、「新アンガールズ問題」※と言われているスポーツ団体のガバナンスにも共通しているような・・・、いや、多くの日本の団体の精神構造は、第二次大戦における軍部と同じような気がする。
もしかすると、こうした事態は日常的な光景の延長にあるから見えないのかもしれない。

はじめは「まさかこんなことになるとは思ってなかった」のにエスカレートして・・・ということかもしれない。
軽い気持ちで、偉い人に従うしかないという思考停止の結果かもしれない。
『偉い人が、そう言ってんだから仕方ないだろ』
『あいつ、偉い人に刃向ってバカだな』
『偉い人の考えている「正解」に合わせて動く方が賢いよな』
とはいえ、こういった日常的な損得を重視して生きている人ばかりが偉くなった日本。
単なる平和ボケとも思えるが、特攻隊や人間魚雷として自ら死を選ばずを得なかった人たちの思いを考えると、やりきれない気持ちになる。

自らの善悪の基準や美の基準を持たない人たちが自己正当化のために、異分子を直接的に間接的に非難し、そして排除していく構図は、いじめ問題にも共通している気がする。
多様性を認めるというのは、一義的には様々な立場や視点を持った人たちは知恵や意見を出し合う方がより良い案、より良い社会になる、ということだと思うし、僕も支持しているけど、もしかしたら、こういった暗澹たる状況が繰り返されないようにするための方法としても有効なのかもしれない。

愛国心、愛校心、愛社精神・・・。
こういったものに純粋に惹かれる部分もあるけど、求心力を高める=他を排除する、にもつながることには注意しないといけない。
番組(日本テレビZERO)で、人間魚雷として21歳の若さで帰らぬ人となった、塚本太郎さんの肉声を番組で聴きながらそんなことを感じた今夏。

https://www.facebook.com/newszero/posts/2158979907507477

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※新アンガールズ問題とは、当時話題となった、日本ボクシング連盟を取り巻いた疑惑のこと。
助成金の不正流用や試合での不公正な審判など次々と「疑惑」が浮上し、日本ボクシング連盟のトップであった山根明会長(78)のワンマン体制の下、「連盟を私物化している」と333人の日本ボクシング連盟の関係者が文部科学省などに告発状を提出した、という問題。

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