見出し画像

5年前の投稿に勇気をもらいました

Facebookを使っている人ならご存じかと思いますが、毎日「X年前の投稿」が思い出として表示されます。
「え?これってもう3年前のことなの?」とか「この頃は、こんなことを思っていたんだな」とか、いろいろ気付きがあって楽しいです。
今日は、私が5年前に投稿していた内容に、今の僕が勇気をもらった(笑)ので共有させていただこうと思います。

===

今ではその面影もすっかりありませんが、私が研究に日夜没頭していたとき、常に多様な視点で考え、そして自ら厳しく検証することがあたりまえだったことを思い出しました。

それは、前提として、人間の考えは決して完ぺきではない、ということと、自分の常識や理屈では「正しい」と思えることでも、抜けている視点があることをそれまでの経験から理解していたからだろうと思います。

そういった意味で、論文や学会の発表などで、様々な人と議論することは、「多様性」や「ダイバーシティ」といった言葉が話題になる遥か昔から、研究所ではより「正しい」結論を導くための必要なプロセスのひとつと認識されていたと言えます。

なので、「自分の考えが正しい」と固執するより、「仮説の一つでしかない」「こういう考え方もある」というスタンスで向き合う人が周りには少なくなかったと思うのですが、こうした考えは、研究機関にいれば、再現実験などで誰でも検証できること、企業にいれば、提供する製品・サービスの供給責任が付いて回ることが大きかったと思います。

もっとカンタンに言えば、嘘をついても後で絶対にバレるという常識が共有されていたから、と表現できるかもしれません。

しかしながら、損得起点で考える「賢い人」が増えた現代、やや極端かもしれませんが、組織によっては、エライ人の考えを「正しい」結論にするため、まさに「結果ありき」で様々な情報を集め、時には都合よく加工して、(その限られた世界では)「正しい」ことにしてしまっている場合もあるような気がします。

それは、どんな結果になろうとも後から検証できない(如何様にも解釈できる)からかもしれませんし、その方が生きていくのにラクだし得することが多いからなのかもしれませんが、でも、上の人も下の人も、理系でも文系でも、女子でも男子でも、昔はそれなりに熱い気持ちがあったはずだと思うと、勝手ながら『なんだかもったいないなぁ』と感じてしまいます。

私自身を含めて、我々には使っていない力がまだまだあるんだと思います。
なので、一人ひとりの力は大したことがなくても、理系や文系を問わず、みんなで考えを出し合い、刺激し合うことで、まだ誰も見たことがない、新たな世界が生まれるかもしれないと思っています。

せっかくこうして生を受けた訳ですし、100%の確率でいつか絶対にこの世からいなくなるんですから、もし「結果ありき」なことが多い毎日を過ごしているのであれば、たまには未知のことに挑戦してみませんか。

新たな挑戦は、夢やロマンがあって毎日ワクワクすると思いますよ!
・・・という自分の考えに固執してるのかもしれませんが。(笑)

===

もしかしたら、私自身が5年前から進歩してない、ってことなのかもですが、読んでいただいた皆さんに何か参考になる部分があれば嬉しいです。
ということで、今日はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?